「バービーになりたい!」を現実化する方法 その1

◆「もってけドロボーコンセプト」
もともとさとしのHPシリーズは個人to個人で相談に応じていたものを「私の時間も大事にして、あなたの時間も大事に」というコンセプトではじめたのがはじまり。


そこから流れて「もってけドロボーコンセプト」が生まれる。


ただし、ドロボーされると困るネタは注意書きとともに公開を制限している。
その対象はほとんど論文研究系だね。


トップページに書いているとおりで。
さとしの人間総合研究所 SECOND VERSION
http://www.geocities.jp/stshi3edgid/


なんでそうか、というと個人相手だと手紙(メール)で4、5時間、対面で3時間は最低かかる。
そうすると週1で対応したとしても年に52人。
しかも基本的に一見さんで終わるようにしているのだけど、そうはいかない人が1割。
あとさとし個人との相性というものもある。
そこで1999年にHPを開いたところがはじまり。


とりあえずとりやすいとこにおいておけば、勝手にもってって使ってくれるでしょう。
あ、ただし導入する前に検証は必須ね。
プログラマだったらパクったロジックは検証してから使うのは常識だけど、
みなさんプログラマだけではないので注意書き。


◆「バービーになりたい!」を現実化する方法
どこからこういうことはじめたか、というと実は10代のころのスピリチュアルな「役割」。


このHPでも「人生の設計図を描く」なんでコーナーつくっちゃっているけど、10代、20代この「ライフスタイルの設計図」を書く、ということが大好きだったわけで。


なんで好きだったのか、というとやはり「生きるためのココロのささえ」だったかな、今思うと。


終わりのない地獄には人は耐えることができない。
けれども「ここまでくれば終わる」というものがあると耐えられたりする。だから「それが証明されようとされまいとココロに思い、行動するため」にあらかじめシナリオをつくっておく。


そのやり方は私個人に行ったやり方は別に公開するとして、実は個人個人で違う。


僕の場合はマンガを描いていたので、そのキャラ分析から「現実世界の検討、そして実践」というやり方をした。


と、いうのはまた今後過去記事からUPするとして…。
今日はもうひとつの以下を書く。


なづけて「バービーになりたい!」を現実化する方法。
ほかにいいタイトルがあったら付け直したい(苦笑)


さとし自身については「サキになりたい(@エリア88)」で
妄想的にぶっ飛ばすという方法ともいえる。
自己完結していないと「危ない人」だが、結構いける。
まず「否定される」ことは少ない。


ただ今は「サキになりたい(@エリア88)」から
伊東聰本人に統合されてきているからあまり強く意識はしない。
要は行動化するためのテコに使ったのである。


「自分らしくありたい」と願うよりも「サキになりたい(@エリア88)」のほうが
メタモルフォーゼが即効性で利くんだよ。
なぜか、というのはまた今度話するとして。


今回はそういうわけで「バービーになりたい!」で書いてみる。


「バービーになりたい!」で実行した人がアメリカにいたなあ。


X51.ORG : 整形手術でリアル・ケン&バービーカップルが誕生
http://x51.org/x/04/05/0331.php


リアルライフ・バービーという言葉もある。
こちらの記事、なんと4千万かけたそうだ。
reallifebarbie.com
http://www.reallifebarbie.com/index.html


マイケル・ジャクソンの「ピーターパン」もその一種だなあ。
容姿のイメージはエリザベス・テイラーめざしたんだっけ?


このやり方の重大注意事項がある。
それが本当に「本人が望む」ことであること。


「バービーになりたい!」と思った時点で実はバービーの素質をその人がすでに持っている。
もし「バービー」の素質がまったくなかったとすると実は「何か別の問題がある」と解釈していい、と思っている。


◆「自己実現」と「自傷行為」をみわける
「別の問題」って何か。ほとんど直感的な答えだけど「自己愛と自尊心が低すぎる」ケースが多かったと感じる。


「バービー」が健全な「自己愛と自尊心」からきていると、「自分のこと大好き!」。
だから「バービーになりたい!」なんだよ。つまり自己実現だ。
ベクトル思考(方向性)でいうと「バービー」のベクトルをもっているからバービーなわけで。
こういう場合は最初「バービー???」でもたまねぎの皮をむくように中からバービーがでてくる…と書くと誇張しすぎだが大体「なるほど」というスタイルに落ち着く。


まるでダイヤの原石をみがくがごとくだ。


「自己愛と自尊心が低すぎる」場合はどうか。


自己否定としての「バービーになりたい!」だったりするのだ。
この場合の「バービーになりたい!」は「自傷行為」だ。


しかし往々にして人間には「最低限の自己保存」があるから、
「バービーになりたい!」に失敗する、という形で「自己防衛」してしまう。
「バービーになりたい!」という「自傷行為」から自分を守ってしまうわけだ。
「失敗願望」で自分の安全を確保してしまうのだ。


「失敗願望」は「自傷行為」をとめる肯定的な役割をもつ。


「バービーになりたい!」がその人の健全な成長意欲だったら、それを追求すればいいと思う。
おもしろいように早くメタモルフォーゼする。
この「なりたい」は実は「ありたい」であり、「バービー」を指向しているのではない。
指向している「自己実現」が「バービー」に象徴されているだけだからうまくいくのは当たり前だ。


しかし「自傷行為」だったら、その「バービーになりたい!」は考え直したほうがいい。
本当は「望んでいない」願望であるために安全弁が働いて「実現」できないだけかもしれないからだ。


◆セルフイメージのモデル設定はあっているか
個人個人に話を聞いてみると案外自分のセルフイメージとその人の行動が一致していることが多い。
いっていることと行動が違う場合は「行動」のほうが正しい。
ただし「ミス設計」していてセルフイメージのモデル設定が間違っているということがある。


たとえば「上品な社長夫人」めざしていたのに、なぜか「はぐれ刑事純情派」の片桐由美@眞野あずさ、すなわち「高級クラブのママ」になる人(笑)


これは「社長夫人」のモデル設定がはじめから「高級クラブのママ」になってしまっていることが多い
なぜ間違うかというと「社長夫人」のステレオタイプがどういう人なのかがはっきりとイメージできていない、もしくは実は「高級クラブのママ」をめざしていた、というもの。


「上品な社長夫人」と「高級クラブのママ」は言葉で説明しにくいが違いは大きい。
その違いがわかっていないと「上品な社長夫人」めざして最後の最後でどんでんがえしくって負けることがある。


これは「人生経験」がものをいうことが多いから厳しい問題ではある。


どういう環境で生まれ育ったかが、その人の「心地よい環境」を決めてしまうのだから恐ろしい。
いわゆる成り上がりの物語もベースとなるモデルをもっている。


が、「自己愛と自尊心」の原点となっているものってその人の生きてきた歴史だったりするから、たぶんそっちがその人にとって無理のない正しさだったりする。


ただし、人間の尊厳を否定されるほど悲惨だったりすると繰り返すのでもちろんリセットして方向性をかえるプログラムは必要だ。たとえば「障害を理由に虐待されている人生」を甘んじてうけることによって、「障害を理由に虐待されている人生」から抜け出せない人生というものが起こるのだ。昔児童施設で育った子どもの離婚率が高かった、という問題の構造と同じだ。つまり「モデル」がなく「普通の家庭生活」がその子どもにとって経験したことがない世界であるため、悲劇を再現しやすいのだ。また、体験したことがないゆえに理想が高すぎてしまい、かえって社会不適応につながるケースもかなり多い。


◆「未経験」はなんとかなるが、「未知識」だNG

モデルを設定する、というのは「未知識」ではできない。
「上品な社長夫人」が片桐由美@眞野あずさになるのは「社長夫人」に関して未知識だからだ。
「理想」や「妄想」だけで「現実にあるもの」からのモデリングを行っていないのだ。
まず必要なのは「上品な社長夫人」にはどうやったらなれるのかをきちんと「現実」の人から学ぶことだ。
それも一人ではなく可能な限りの「上品な社長夫人」たちにあって話をきくこと。


「未経験」は「理想化主義」のリスクを背負うが、ないより「まし」。


現実の中で行動すること(リアルライフエクスペリエンス)で「経験」になり、「理想化主義」が修正されてくるからだ。(まれに修正不可の人もおります)。


ほとんどはうまくいくことが多いけれど、「限界」がある、ということは次に書く。


以上。