「健常」「障害」よりも その1

近年聞くようになった私に対する友人の言葉に「奇跡の人」というものがある。


通常「奇跡の人」という言葉はかの有名な三重苦のヘレンケラーを教育したアニー・サリバン先生、すなわち支援者をさすことが多いのだが、この場合は三重苦当事者である本人を指す。



本人である私としては「生きるための当たり前のことをシンプルに考え実行しただけ」という心境だったのだが、この不況の影響をダイレクトに食らった今、「奇跡の人」と評した友人たちの気持ちがようやくわかった気がする。


「ようここまでやってこれたわ。」
「本当に奇跡に近かったんだな、自分の人生」
ここんとのこ心境はこうである。


「障害を障害でなくす社会へ」。


聞こえはいいが、「障害者」「健常者」の格差をうめようとすればするほど、逆に「障害者」「健常者」の埋まらない溝と差異の激しさを理解するような展開になるばかり。


「障害者」「健常者」は別の人種・民族と思わざるをえないと思うようになっている。
できることは「それでも同じ人間なんだ」という「大きな視点にたって政策を考えること。」


健常者だって、「障害」をもっている。もっていないつもりでもやがて「障害者」となって死ぬのだ。
違いは「障害者」になる前に死ぬか死なないかの違いでしかない。


先日こんな記事をみた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091208-OYT1T01059.htm
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091208-OYT1T01059.htm


根本的なメンタリティが有名なジョーク「沈没しかけている船」の
フランス人に近く、日本人的ではない私としては
「くだらないことをやって、わかりにくい日本語をもっとわかりにくくしないでくれ」と思ってしまう。

The Japan Times より

"A sinking liner"

The captain urges the passengers to dive into the sea.
He says to the American man , "you will be a hero if you do it." ;
to the British man, "you will be a gentleman." ;
to the German guy , "this is an order to jump." ;
to the Italian man , "you will be loved by many women later." ;
to the French man, "don't jump" ;
and to the Japanese man "everyone is jumping!"

沈没しかけている船

その船長は船を早く離れるよう乗客を促している。
アメリカ人には 「ヒーローになれるぞ」 と
イギリス人には 「紳士になれるぞ」 と
ドイツ人には 「飛び込むことが規則である」 と
イタリア人には 「女性たちがみんな愛してくれるぞ」 と
フランス人には 「飛び込むな」 と 
そして日本人には 「みんな飛び込んでいるぞ」 と。

<引用>
http://www.nippon.fr/culture_jp/french_image.html
http://www.nippon.fr/culture_jp/french_image.html


もちろん私のような「一貫して障害者にも健常者にもなれない」がゆえに下手すると社会の最下層に置かれるリスクの高いいわゆるなんちゃって障害者?(要言葉再考)でない「本当の障害者」当事者にとっては「言葉が与える」イメージ戦略の大事さというものも重々承知している。


「ネガティブワードによるルサンチマン(強者に対する弱者の怨恨、憎悪の感情)が『社会適応能力を向上させる』」という人には絶対ゆずれない価値基準をもっている私の意見はあくまで「人という全体の中で生きる自分」という視点が生んだ価値観だ。


私より数が多いであろう賛否両論の「否」の部分にこういう見方もある。


「自分が何者でどう生きるか/どうありたいか」。


この場合、自分は「障害者」と認識すると自己評価のディスカウントにつながる。
厳しすぎて現実を引き受けられない、という事態が起こる。


「他人と社会と現実は変えられないが、自分は変えられる」の現実に対して、
手っ取り早いのが「言葉を変える」「言葉のもつ意味を変える」こと。


差別用語を逆手にとってあえて「人間のプライドの象徴」として使ったり。


受託製作といってしまうと泥臭い/ダサいものに感じるが、オーダーメイドといってしまうとしゃれたものに感じる。


そんな言葉のマジックを使う。


平和な時代ゆえかもしれない。

<つづく>