「障害者たちの太平洋戦争」

◆「障害者たちの太平洋戦争」
NHKオンデマンドで「障害者たちの太平洋戦争」をみた。



ETV特集 12月6日(日)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/1206.html


NHKオンデマンド|エラーが発生しました
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012182SC000/index.html


12月16日までみられます。


収録先は東京都文京区目白台にある筑波大学附属視覚特別支援学校。


筑波大学附属視覚特別支援学校のページ
http://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/


ゲストは一橋大学大学院教授の吉田裕氏、京都府立盲学校教諭の岸博実氏、日本ライトハウス4代目理事長の木塚泰弘氏。

○吉田裕
吉田裕 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%A3%95


http://www.soc.hit-u.ac.jp/faculty/yoshida.html
http://www.soc.hit-u.ac.jp/faculty/yoshida.html


○岸博実
181 記事「ルポ最前線を行く 戦時下の視覚障害者」2002年・点字毎日 - 京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kishi_1_99/21937203.html


CiNii 論文 -  <報告>視覚障害者と戦争
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000535079


http://www.wao.or.jp/user/kishi/nanao0308.pdf
http://www.wao.or.jp/user/kishi/nanao0308.pdf


http://74.125.153.132/search?q=cache:W5AR8H7XBXYJ:www.wao.or.jp/user/kishi/sennsou.rtf+%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%80%E8%81%9E%E3%81%8D%E5%8F%96%E3%82%8A%E8%AA%BF%E6%9F%BB&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox-a
http://74.125.153.132/search?q=cache:W5AR8H7XBXYJ:www.wao.or.jp/user/kishi/sennsou.rtf+%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%80%E8%81%9E%E3%81%8D%E5%8F%96%E3%82%8A%E8%AA%BF%E6%9F%BB&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox-a


※現在なお証言集めをしているそうです。


○木塚泰弘
社会福祉法人 日本ライトハウス
http://www.lighthouse.or.jp/


番組構成は「限りなく健常者に近い障害者」とされた視覚障害者の戦時史を初代理事長岩橋武夫氏の日本ライトハウスの経営戦略を軸に展開していく。


江戸時代よりの職業保護がなくなった明治以後、富国強兵政策により障害者は単なる社会の荷物とされるスティグマと戦っていた。「せめて、職業保護を」という願いもむなしく、どんどん社会的弱者になっていく。あらゆる政策を考えて提言していくが徹底的に「無視」され、「焼け石」に水。


一方日中戦争をへて太平洋戦争に突入していく中で日本社会は人材不足に陥り、健常者、つまり「五体満足の基準」をさげることになった。


「障害者の特殊な能力をお国のために徹底的にいかせ」というスローガンのもとに障害者たちの人材活用がなされた。


「戦争は悲劇の父であり、革新の母」(岩橋武夫)


現在就職率50%といわれる知的障害者は徴兵の対象になり、従軍していった。
聴覚障害者は兵役でぬけた労働者の穴埋めをした。
その一方で精神障害者は社会から徹底的に排除され、精神病院で有名な都立松沢病院では配給の分配が滞り、餓死率は40%に達したという。

国民優性法
国民優生法
http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/be/BE_law_04.htm


それにしても世界的にみたらよく「人材活用した」ほうだとは思う。
障害者に対する「保護」という一神教社会にありがちな宗教的背景がなかったことも影響しているのだろう。


視覚障害者の活躍はとりわけめざましい。
夜間の敵機襲来を聞きわける「防空監視員」として訓練をうけ、配属されたもの。
「技療手(マッサージ師)」として従軍し、戦死したもの。


それでも「人間としての権利を勝ち取るチャンス」として障害者たちは徹底してもてる能力を時代の流れにつぎ込んだ。


しかし歴史的結果からみて、「人間としての権利を勝ち取れたのか?」というとそれほどの強い効果を生み出すことはなかった。


私が常に書いてきたように、「障害者のための技術」、障害者福祉はあくまで「傷病軍人のアフターケア」のために整備されたものでこの時代も例外ではなかった。戦争のために障害を負ったものとそうでないものの間に「格差」が残った。


さらに大活躍する視覚障害者に比べて、役立たずとして隔離される精神障害者との処遇の格差。


そして軽くしか触れられなかったが、知的障害のハンデをかかえて戦場にいった結果心身ともに二次障害をおった障害者に対しては何の保障もなかった。


戦争中には「国の、社会の役にたてる」と意識が高揚しただろう。
それによって「人として認められる」とも。
しかしそれだけの努力をしても根本的な利益はなかった。


やがて戦争がおわり健常者すら生きるのが厳しい時代を向かえ、「自分がなんとか生き延びるだけ」でやっとであったこと、一般的に戦争を語りたがらない心理と同じものの働いてか、障害者の戦争体験は語られることがなかった。


太平洋戦争以前と以後で変わったもの。
「人間としての基本的人権は戦い勝ち取るもの」という価値観から「もともと人間にあるべきもの」という価値観へ。


「戦い勝ち取るもの」という価値観では真に障害者福祉は実現できなかった、と締めくくる。


現在なお聞き取り調査は続いている。




<参考>
仁木悦子メモリアル〜障害者の太平洋戦争を記録する会〜
http://nikietsuko.com/taiheuyou.html