長曾我部元親…落書き書いてみた

12年前(23歳の時)にマンガ書くのやめて、「現実世界」で生きられるように「人体改造」。
これがこうじて医療系へ。

でも物語をつくるということの情熱さめやらず、
またいろいろと書いてみたい衝動を抑えるストレスが多く。

やることを減らして自分の時間をとりたいと常に願ってはいるが、
このご時世で増えてしまったよ、「やらねば」が。

せちがらい世の中でございます。

さて、落書きしたのであげてみよ。
マンガとして書く時間がないけれど、せめて小説を、というネタはできた。
公開できればうれしい。

「姫若子」が「鬼若子」に、とキャッチフレーズ。

戦国の雄とよばれた”姫”若子 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り

これを読んでくれた方が「トランスジェンダーによるある『日本武尊』からつながる巫子さん系統の伝統ではないか?」と指摘してくれて、「ああ、なるほど」とおもってみたり。いわれてみればそういう感じ。「障害・異端」のはみ出し者の「巫子さん的地位」って、結構あるんだよね。そこに「役割」があった時代があったのだよね。この伝統は武田信玄二男の視覚障害者の海野信親にもあるんだよね。海野信親は書いてみます。


たしかに「織田信長の現代的合理的思想」のほうが身近だから、織田信長以外がどういう風にものを感じているかってもう忘れているんだよね、今の時代の人。

16歳ぐらいの元親(弥三郎)を巫子さん/公家風モードでかいてみた。
たぶんそうだったんだろう、とおもうんだよね…。

で、このベースで40代元親。
肖像画見本にしたはずが、肖像画とイメージ違う。
たぶん書いた人の「美少年」のイメージが元親ではないんだよ。たぶん。

まあ、そんな感じで…。

【補足】そんなこと考えながら、検索していたらこんな記事。

http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2008-01-29
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2008-01-29

菊池契月「敦盛」みていたら、たしかに元親の肖像画に面影がないことはない。
やっぱり美少年だったんだろうな…と。

信長も「美少年」憧れていたのかな…。