閑話休題 茶人のタブー

1年前母が私にこういった。


「ドラキュラみたいな男が好きで
そうなりたいと思っているんだね」と。


それを聞いたときに
「ああ、わかってくれた」という気持ちで
ものすごく救われた気がした。


母方の家系が代々茶道教師をしていた関係で、
あととり候補だった。
だから7歳のときからあととりとして厳しく育てられた。


けれども17歳で周囲の思惑をしり、ことわった。


相当がっかりされたし、
そのあとでいろいろな問題が噴出した。
お家騒動である。
理論的にはもしも私がその家をついでいれば、
まるくおさまったのだ。


「必死で教育したのに…」という感じだった。
子供のときは「教育で矯正すればできるようになる」と
周囲の人は考えていた。


しかしできなかった。
道教師として求められる性質・哲学・美学と
私のもつ性質・哲学・美学があわなかったのだ。


その当時でよくあったことかもしれない。
私が「好きだ」というものを否定して、
周囲がいいと思うものをすすめる。
私になってほしい理想像を周囲が思いっきりほめる。
それがひどく苦痛であった。


おまけに恋愛・結婚も自由にできない。
求められるセクシャリティとパートナー像もあわない。
長い人生を考えたら、とてもではないが無理だった。


周囲の期待に反して、どんどん反抗的になっていった。
そして17歳のときにそのレールからおりた。


茶道は日本文化、和の世界、としては好きだ。
しかし、「すべてを自然のままに」という
わびさびの世界がどうしても受け入れられない。
「自然のままに」という欺瞞はどうしても許せない。


茶道を大成した利休がしたあやまち、
豊臣秀吉の美学を徹底的に否定したことだろう。
「うけいれてくれなかった」という秀吉の思いが
利休の切腹につながったと思う。


改造し改良し望みのものを手に入れるフェイクの美学と
何もかざらず「ありのままにする」美学は
まっこうからぶつかって共存することは不可能だった。


化粧、華美な容姿と悪魔的なものを好む私の好みと
簡素に自然になにもかざらないものを美しいとする茶道の美学。


茶道の世界からまったく足を洗ったわけではなく、
今でも免許取得の段階をふんでいる。
それでも日本的美少年愛をはじめとする
日本的な美学を愛する気持ちがかろうじて
そこへとどまらせている。


ドラキュラ的な世界と茶道の世界。
本当に相容れないのかね?
あととりという枠がはずれたから、
そういうことも自由に考えられる。


私の曽祖父は京都・大徳寺で修行した僧侶だった。
私の祖母はその息子の婚約者、
結婚前に戦死したため養女になった。
彼女は京都の家元の縁を通じて、
いわゆる日本の旧家的な一族に顔が利いた。
そして私の母と叔母。
なぜかのろわれたように女性ばかり。


茶道に生涯をささげると決めた茶人の男性は
京都の大徳寺で得度し斎号をもらう。
俗世間から足を洗い、仏道の修行として
茶道の修業を行う。


女性では本当の意味でのあとはつげない。


重たい世界だ。
簡単にそうですか、というわけにはいかない。
17歳以後に別途「めんどくせえ」と思う騒動があったが、
それはまた後日談にゆずる。


茶人の世界の慣習はいろいろある。
茶人としてのタブーはいろいろある。


その家の伝統として
悪魔的な〜が好きな私でも
タブーとして手をださない世界がある。
「酒と色の問題」だ。


酒と色。すなわち「水商売の世界」、
「夜の世界」。キャバクラ嬢、ホステス業。


一度酒と色の世界にそまると、
その雰囲気がその人間から消えず、
茶人生命を絶ってしまうという。
事実、祖母のところにくるお茶のお弟子さんには
「夜の女」もいたが、
子供ごころにも「夜の世界でいきる」女ということがわかる。


母にはたくさんの茶道のライバルがいて、
そのライバルのひとりが
あるとき不幸なことに「母子家庭」となった。


子供がいたので、
生活を立てないといけないということで
夜の商売に身をとうじかけた。

それを阻止したのは
彼女の茶人としての才能をかっていた師匠で、
すぐさまやめさせた。

「夜の女」のにおいがつくと
とりかえしがつかないからだ。


彼女は賃金のやすいアルバイトをいくつもかけもちをし、
やがて小さな小料理屋をつくった。
師匠がなくなり、彼女が後継者になった。


ライバルであるが、あっぱれと母はいう。
「よく一道をつらぬいた」と。
母子家庭も厳しいが、
そのなかで茶道で使う道具類をそろえることも
並みのことではできない。「好き」でないとできない。


「水商売」は一方でなんでもありの世界だと
誰かが教えてくれた。
だからどんな異端な人間でも受け入れてくれる場所があるとも。
だから、社会の異端者とされた人間はすべてその世界に行く。


そうやって世界が二分化されていく。


私はドラキュラみたいな男が好きでも
ドラキュラみたいに夜の世界では生きられない。
ドラキュラみたいな男には色がある。
色があるから…僧侶には向いていないだろうな。
…僧侶にはいわゆるエロ坊主がいることを前提で書いている…。


ビジュアル系の男子はどうやって生計を立てているのだろう。
そんなことをふと日々のなかで考える。