夢の中…『カダフィ大佐』が遊びに来た…

10月、11月は私にとっては「年末」。


体調の悪い日もあるので無理はしないことにしている。


さて、夢をみた。


たまにみる夢のなかの「我が家」がある。
実は本人もその家の構造がよくわかっていない。
いろいろな人と共同生活していたりする。

夢をみるたびにいろいろ事情が変わっているが「同じ家」である。

合掌住宅を思わせるような構造の家だが、
たぶん3階以上はある。
重厚な和風の黒光りする太い柱。
広い空間をパーティションで区切りながら友人たちがくらす。
弟の部屋もあるが、不在だった。
私個人の部屋もある。


夢のなかだから、建築学上の構造はめちゃくちゃかも。


そんな家に思わぬ来客があった。
なんとカダフィ大佐である。
何人かの側近がついていた。


カダフィ大佐が【亡き人】だということを知っていたから、
【そのこと】は問わずに家のなかを案内した。


カダフィ大佐が好奇心旺盛で話し好き…これが実際の本人もそうなのかは
私は実際に会ったことがないからわからないが、
この奇妙な日本の家を気に入ったようだった。


私の部屋の前を通ったときにふと思い出した。
この部屋には屋根裏部屋があり、そこは子供時代の私の「秘密の部屋」だった。
25年前、ある人から受け取った手紙を私はその「秘密の部屋」に隠した。
内容は英語だからよくわからなかったが、
カダフィ大佐の友人?とおもわれる人の遺言ともとれる内容だった。
たぶんカダフィ大佐の不興を買い、誤解がとけぬまま、
死に至った友人の手紙と思われた。


私はその手紙のことを忘れていた。
その手紙をどうするか考えた。
やがてもてなしの宴会がはじまった。
カダフィ大佐トークショー状態となった。


私はその手紙のことを申し出た。
カダフィ大佐は読みたいといった。
私は「秘密の部屋」でその手紙をさがした。
手紙をみつけたのはカダフィ大佐だった。


手紙をよんだカダフィ大佐のせつなくさびしそうな顔。


そこで目が覚めた。



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こういうことがたまにある。


それからというもの眠りが浅いと
いつも考えるのはリビアカダフィ大佐のこと。
これにはまいった。


これを霊能者系の話で解釈すると、
まったく縁がなさそうな関係の人間でも波長があって、
それをつたえてくれそうな人間がいると
その人の夢に訴えてくることがあるといわれる。


カダフィ大佐が夢にでてくるということは
「自分が死んだことを理解している」ということになる。


しかし、それ以前の問題もある。


貧しい遊牧民出身のリビアが生んだ秀才。
それがカダフィ大佐だった。
当時の王室はこの秀才少年を教育し、英国へ留学させた。
ところが、カダフィ大佐は気がついてしまう。
本当の敵は欧米とアラブ、アフリカの主従関係であることに。


彼の42年の戦いはその一点に絞られる。
アラブの狂犬とよばれた男。
理想を現実にかえることしか興味のなかった男。
目的のために手段を選ばなかった男。
みながみたくない本当のことしか指摘しなかった男。
多くの恨みやにくしみをものともしなかった男。
人間を完全に信じることのできなかった男。
しかし、友や家族をはじめとする人間の愛を信じた男。


彼があこがれたナセルがなしたように、
民族のアイデンティティや誇りをとりもどすこと。


リビアの独裁者をやめたとしても、彼には生きる道があった。
しかし、彼はおのれの役割と考えた「目的」に殉じた。


検索をかけると、
がたくさんでてくる。
家族を愛し、孫を愛するやさしいおじいちゃんカダフィ大佐
一方で司法にかけられることもなく、
リンチ虐待され血まみれで死んでいくおじいちゃん。


みていた人への心理的影響がないとはいえようか。


周りの空気をよんであまり自分の意見をいえない傾向のある私。


カダフィ大佐をおそった「不条理」に正直「このやろう」という気持ちが強い。
正直「民主化運動」といわれても素直にそのように解釈はできない。


そんな思いが夢にでているのかもしれない。


ちなみに25年前…。


1986年。
米軍によるリビア空爆のあった年である。


最愛の敵 カダフィ [DVD]

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