新しい技術は暴力…

「ないものはないほうがいい」
でも、
「必要なものでないのなら『つくれ』」
これが私のコンセプト。


IT系の技術がうんぬんとおいかけることよりも
「私がつくりたいもののための技術を知りたい」
そういうコンセプト。


「今できるか、できないか」よりも
「それができないとできないからできるようになれ」と
いうのが基本姿勢。


それは先のIT傭兵でもそうだけど、
「今できます」ではなくて、現場にはいって、
できるようにならないといけない。
「現場の素人」なんだから、最初からできるわけないじゃん。
でも1週間もあったら、前から現場に滞在していた
エンジニアのようにものを作成する。
それは私の強みだね。


それができるように原理主義的に下準備をしておく。


原理主義者であること」と「IT傭兵」していることは
つながりがあると思う。
原理主義的な思考でないと状況適応するための
瞬発力がきかないのよ。
「多様性〜」に着目しすぎると「多様性〜」を理解するのって
どのくらい時間かかると思う?


自衛官のような軍隊主義でも1年以上かかるんだよ。
火消しのITプロジェクトというのは長くても1年未満。
リピーターは別として理解しあう前に現場をさることになる。


特に今の時代の回転の速さでは
「場面適応の瞬発力、持久力は必須」


しかしほかの人と話す機会が増えたが、
多くの人はそうではないらしい。


クラウドだ、Ustreamだ、SNSだ、HTML5だ、Object-Cだ、
新しいシステムや考え方はたくさんでてくる。


でも、「じゃあそれらをつかって何ができるの?」
そこになるとぱっと心を動かすような説明のできる人はいない。


クラウドで世の中がどんなに便利になるの?」とか
Ustreamの視聴率とれるとどんないいことがあるの?」とか
SNSでどう世の中が変わるの」とか
そういうことのほうが大事だと思うのだよな。
どんな「いいこと」のために技術を使うのか。


「時代のはやりはこれでっせー!」と追いかけつづけるだけでは
技術者はつぶれる。
新しいものだけをとりいれすぎるとプロジェクトは炎上する。
どんなに学習能力が高い技術者でも「人間」だ。
消耗する。
しかし技術そのものは「新しい」ものであっても、基本コンセプトには大差はない。そこに気づいて適応できるかどうか。
技術者の才能はそこにかかっている。


コンサルティングやっている方によく話すことがある。
「これがはやりでっせ、はやりでっせ、時代の先端でっせ」だと
大半の日本人はこわくて手をだせない。


「新しいものは『暴力』」という言葉がある。
肝にめいじなければならない。