「ノマド」に思うその2−「シングルファーザー」と「介護息子」
ノマドワーキングとは。
[世間の動きに思う]「ノマド」に思うその1 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
の続き。
時間と場所を選ばないことによる利点は実は障害者「当事者」だけではない。
私の実体験的に浮かぶのは「子供がいる当事者」と「要介護人」がいる当事者である。
特に「シングルファーザー」と「親を介護する男性」である。
「女性は?」というお叱りをうけそうであるが、まあ私自身がメンズリブ系からきていてリアルな実体験を知っているケースであることと、
男性のライフスタイルの「盲点」を指摘することで「働く女性」にも応用が利くと思うのでまずその観点から書く。
なかなかブログでは話す機会がないのだけど、私が常々いうことがある。
「月30万以上の収入があるのならヘルパーさん2名を交代制でやとってでも自分の仕事はやめるな、転職するな」である。
ただ、「やめたい」の本音は「親が」「子供が」ではなくて、「自分がつかれきっていてやめたい」が本音なことが多いんだよな。
しかし「親の介護のため」とか「子供といっしょにいたい」との理由で安易に仕事をやめると家庭崩壊のみならず、社会復帰もできずに自滅することのほうが多いのだ。
転職後に月の収入が12万になってしまった「シングルファーザー」が子供を虐待してしまった、という話はよく聞くし、また「老親」をみとった息子がそのまま社会復帰できず孤独死という話もよくきく。
昔こういうシュミレーションをしたことがある。
まず「シングルファーザー」。ITで50万の収入のあるシングルファーザー。
通常は保育所を使うと思うが、24時間の徹夜残業とかがある時代の話、どうするか。
いくつかあると思うが、子供のために25万使ってでも家政婦を雇うだろう。
仮に宿泊もふくめたとしても20万いかなかったと思う。
12万で明日の生活が大変になるよりはましなのである。
「親の介護」の場合。
これも同様である。専属の介護人がいるとよい。
やはり費用は同じぐらいである。
ところが問題はある。
「やはり人である」ということで、トラブルがおきやすい。
これはプロとしての意識の問題も大きい。
やとった人間の質が悪かったりすると最悪なのである。
アメリカとかの事例であればたとえばベビーシッターによる虐待がおきている。
日本の例でもある芸能一家の乳児がベビーシッターに殺される事件がおきた。
ブラジルだったか、けじめのない若いベビーシッターが主人がいない間に男とデート、ネグれスト状態になっていた、という話もある。
子供もあずけたままおまかせにしていると
大変なことになる、ということだ。
伊東家実体験的に家庭内使用人を雇う上で重要なのは
やとう側の「リーダーシップ」である。
この影響度がないと簡単にモラルハザードがおきてしまう。
私自身は家庭内使用人(いわゆる家政婦)の経験は
祖母の晩年に週1頼んでいたぐらいだけど、
父の思い出のなかには何人かいて、やはり「いろいろ」あるんだ。
そうはならないように事業者も気を配っているところだが、
ひとりがトラブルを起こすとその業種そのものの信頼がなくなってしまう。
介護の場合も同様だ。
派遣の介護人はその家の財産をのっとり!というのも比較的新しい事件では「婚活殺人」のケースがそれに該当する。
そこまではげしくなくてもいわゆる「横領」がおきやすい。
また介護の場合は介護される老人の性格による。
他者に対する警戒心の強い老人だと24時間の外部委託は無理だろう。
つまりリスクがある。
そのリスクを引き受けても他人を信じて大事なものを預けられるか。
そこはその人の人間的器量がとわれる。
そんなわけでなかなか厳しいものがある。
そこで「ノマドワーク」というわけだ。
実際私の父がそのような働き方で実の母を見取った。
そして今でもそのような働き方をしている。
父の仕事が「食品開発コンサルタント」。まあ営業といったところだ。
日本全国がそのフィールド。
報酬は食品材料の卸の歩合。
まさに「天職」。
一時期実家がとある大手会社の事業所になっていたことがある。
田舎から上京した若者=40代で「老親」を思って心を痛める人は多い。
そんな父の働き方に「希望を見出そう」とする人もいるが…。
<つづく>