「ほしけりゃ奪え、自分のものにしろ」 その4

人のうえに立つような立場であれば現場に一番近いアップデートな情報を一番確実な方法でとることができる。もしも、末端の立場にいると私の能力はあまり発揮できず逆にトラブルメーカーになることのほうが多かった。末端・集団のなかにいると情報が拡散してしまい、その拡散した情報が聴覚障害のハンデのために正しくとれない、もしくは聞き取れていない、ということが往々にしてあった。そして持ち前の「自分で考えて自分で行動する性格」である。ある全員が知っていたが、私だけが知らなかったためにその情報をもとに行動を起こし、トラブルになった、そういうことも多くあった。


 本当は聴覚障害の人がいるのにその人にもつたえることもできない伝達の仕方をする健聴者のほうが悪い!というのが正論であろう。たしかに私が人の上にたつ立場の人が声が小さいのを非常に嫌悪する。また、おとなしい人がトップに立つこと、たいてい女性の場合が多いが、その場合にも非常に「いやだ」と感じる第一の理由は声が集団にとおらない=「何を伝えようとしたか、正確に取得できない」という実害がでるためである。


しかし、現実問題としてそのようなケースの場面のほうが圧倒的に多く、また改善されることがなく、情報伝達の失敗によるトラブルの責任はほとんど大半が「聞こえないことを自助努力でなんとかしなかった」聴覚障害者のほうにもとめられ、結果として聴覚障害者は社会で「使えない」という低い立場に置かれ、また、逆に聴覚障害者も「しかたがない」という言葉でその低い地位に甘んじて、拡散してとらえることの難しい情報を相手に四苦八苦して神経を消耗している。そしてトラブルのたびに自信喪失して自らを安売りしていくようになる。人にこびを売らないと生きていけなくなる。そして、口を開けば不満や不平、社会に対する怒りや怨嗟。「何が自らをそのような状況においているのか」を問うこともなくそのやるせない状況のなかにとどまる。そして問題は問題のままとどまり、次世代に引き継がれていく。大多数の人がそのような状況でないだろうか。


 私はそれをやりたくなかった。そのために次のような価値観をもった。


「自分の人生の支配者になるためには 『障害』を理由とした失敗はしてはならない。」
「弱点につけこまれてはならない。弱点につけこまれる前に相手をやれ。」
「自分がほしいのに与えられず他の人に与えられた場合、 その相手から奪ってでも必ず手に入れろ」
「ただし自らもその略奪の代償を払え」
「目には目を、歯には歯を。きちんと復讐を果たす。」
「自分の周囲の人には『安心』を与えよ」


今の価値観にそぐわないものもあり、非難されそうなものもある。そして実際に実行するのはかなりの困難をともなう。しかし結果的に間違っていなかったと感じている。上記のことはようは「都合のいい人間にならないため」「軽んじられたりしない」ために必要なことなのだ。そして上記の条件をうまく満たすのに必要なものが情報収集能力なのだ。そして一番ほしかった能力はそのための「コミュニケーション能力」であった。