アイデンティティと「現実」が混同されている!

新規HPの作成もままならず。プライベートな環境は安定せず。
いっぱいいっぱいの日々を送っていた近況。

いわんとすること伝えたいことを「どう伝えればいいか」、と「どうすればわかってもらえるか」と必死に頭を絞っていたことがすべて無駄なエネルギーの浪費につながっていたことを知ったショックの大きさで倦怠感に悩まされ。

是が非で応にも解決に結びつかないとやばい問題満載なので、とりあえず現実逃避でお盆は都内のホテルに引きこもり。

その間に問題を書き出してみたが・・・。

やばい・・・。問題の量が多すぎる。

自分自身。「目的、目標、手段」。「過去、現在、未来」。
自分自身のスキルの問題。大学院進学準備。エジプト渡航準備。
必要な専門知識、イスラームや法学、医学、医療の知識に加えて、プライベートな問題で金融や不動産系の知識が必要になった。そんなにいっぱいできない。

完全に見積もりオーバー、キャパオーバー・・・。

それぞれの人間が自分の本分をきちんと果たしていればこんなことにはならない。

どいつもこいつも・・・(怒)。あると思ってあまったれんじゃねえ・・・。
特にうちの両親。

いっそ手の届かないところへ失踪してやろうか・・・。本気で・・・。

自暴自棄になるその思いを両親ではなく、周辺の親戚筋が受け止めてくれるってどうよ?

その人のキャパシティって大事です。

本題。

アイデンティティの問題。これも非常に大きな悩みとなっている。
特に「私」を知りすぎている人ほど混乱するようだ。
本質を見極めている人か、ほどほどに「知っている人」が一番ぴったりなアイデンティティの一致を見ている。
知りすぎている人ほどやっかいなものはない。

きちんとわかってもらえるように説明しようか、いや、説明せんと伝わらんってどうよ?とぐるぐるしたまま。いらいらするし、気が立つし。

大きな原因は多くの人にアイデンティティと「現実」が混同されていることだ。
特に「障害」や「コンプレックス問題」をあつかうときにそれが顕著になる。
その混同は下手をすると「言葉」そのものが通じなくなる非常に深刻な問題なのだ。

その人の「現実」=「アイデンティティ」と勘違いしているのだ。

「現実」と「アイデンティティ」の違いはどこにあるか。どう識別すればいいか?

「現実」は問題解決が必要とされているもの。問題解決がなされればその「現実」はきえる。だから「アイデンティティ」ではないのだ。否定されるべきものだからだ。

アイデンティティ」は「原点・原則」である。だから「解決」が必要ないものだ。言葉は「原理・原点」を踏まえた上で発せられるものだ。「現実」と違って、全面肯定されるべきものだ。

●「現実」=> 問題解決、否定されもの
●「アイデンティティ」=> 原点、ありのまま肯定されるもの

「現実」だけでも「アイデンティティ」だけでも人は人間社会を生きていけない。

「現実」を全面否定すれば、自分の周囲で起こる問題に対処できない。「現実」は自分以外の相手が強制してくるものだからだ。それに対しては「受容か拒否か」の選択を常に強いられる。

アイデンティティ」を全面否定すれば人は生きていけない。「アイデンティティ」はその人の価値判断の基準だからだ。「アイデンティティ」が弱い人は自分以外の相手に生命すらも振り回される。

アイデンティティ」を自覚することで自分の価値判断の軸をもち、厳しい「現実」に対処できるようになる。これが「適応」する、ということだ。

厳しい「現実」としてとらえている限りそれは「アイデンティティ」ではない。

たとえ解決不能であるために一見「受容」しているようにみえても、それは厳しい「現実」に対する解決の一手段であって、「アイデンティティ」ではない。

・・・「死」・・・「死」以外に解決手段のない、死んで生まれ変わらないと解決しない問題も多くあるんだよ。
私の聴覚障害のように・・・ね。
覚悟して受容しているのに「苦痛が軽いから」といわれるとね・・・。自暴自棄にもなるよ。

厳しい「現実」を「私らしさ」と勘違いされ、「アイデンティティ」をおどかすようなことが起こる。

・・・もうかんべんしてくれ。俺の人生。