「オーラ(仮)の性」という考え方

昨日の「[世間の「動き」に思う]男性自身は武器(weapon)である - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便りでかいた、「オーラ」とやら。
なにやらあやしいスピリチュアルの世界に入ってしまうような言葉であるが、何かいい「言い回し」がないものか。
こういうタイトルをつけたりとか「名づけ」をするのが非常に苦手だ…。


名づけたいものはこれだ。


エジプトにいる間の日本のすったもんだでの中に井脇ノブ子議員の「借入金問題」が浮上した。
これ一地方の高校の閉鎖・改変など振り回される人がでてくるようなややこしいことになっているのだが…。


http://news.google.co.jp/news?hl=ja&q=%E4%BA%95%E8%84%87%E3%83%8E%E3%83%96%E5%AD%90&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wn
http://news.google.co.jp/news?hl=ja&q=%E4%BA%95%E8%84%87%E3%83%8E%E3%83%96%E5%AD%90&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wn



井脇ノブ子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E8%84%87%E3%83%8E%E3%83%96%E5%AD%90


ところでこの井脇ノブ子議員が「男性?」「FTM?」みたいなネタは結構いわれる。
たしかに一見して「男性にしかみえない」。
しかし、井脇ノブ子議員自身が自らのファッションについて、「男性と間違われやすいため、女性らしく見せるため」と発言していることから井脇ノブ子議員の性自認は「女性」、つまり「FTM」でないことになる。


さて「FTMではないが」、「男性にみえる」井脇ノブ子議員は「女湯入浴」を拒否されてしまうのだろうか。
一瞬、「え?」と思われるかもしれないが、拒否されないだろう。
では「男湯」は?
難しい、いや不可能だろう。
そのような判断をさせる「オーラ」が女性だからである。


すでに「男?」「FTM?」という問いが出る時点でその問いを発した第三者井脇ノブ子議員が「女性属性」で「女性オーラ」であることをつかんでいる。「井脇ノブ子」という女性名であることを確認する前に、である。


同じ問いを先のはるな愛椿姫彩菜に問いかけてみよう。


「女?」「MTF?」もしくは「ニューハーフ?」という疑問がでるだろうか。
元の身体的性別を明らかにしたときに「女性そのもの」「女性にしかみえない」という発言は考えられるだろう。
通常、通り過ぎるだけでは彼女らは「元男性」とは誰も思わない。
それは彼女らの属性が「女性属性」「女性オーラ」であるからである。
「え?男???」という疑問もぎりぎりではあるが、「やや女性より」というか…。
「え?女性の格好しているが、男????」となったら本人が「女性」と思っていても「男性属性」「男性オーラ」になる。
「え?女性にみえるが、男????」は「男性属性」「男性オーラ」にだろう。
非常にまれなケースで本人が「男性属性」だと思っているが、「オーラ」だけ「女性」で「え?本当に男なんですか???(とつっこみ)」となるケースもある。


このように人間は性自認のみで社会生活を生きているわけではない。
仮ではあるが、この5つの要素で構成されていると思う。

■伊東聰 原案…。
1.肉体の性(物理的生物学的に成立する性、医学分野) 原則として不変
2.性自認の性(精神的・心理的に成立する性、精神心理学分野) 不変
3.属性(帰属)の性(認知的・意識的に成立する性、脳神経科学?分野 不変
4.オーラ(仮)の性(歴史的・人間関係的に成立する性、教育学分野 可変
5.社会性(社会的文化的性、いわゆるジェンダー)、可変


性同一性障害というのは「何が障害か」というと「1.肉体の性」かつ「4.オーラ(仮)の性」が「2.性自認の性」の不一致を起こすことだろう。90年代のTS原理主義とよばれた考えたかだと「3.属性(帰属)の性」を重要なものとして含む。ただし軽度の場合は「3.属性(帰属)の性」はあまり重要ではない。


しかし、さあいざ性別越境をするということになると、最終的にすべての生活がなりたつのに重要なものは「4.オーラ(仮)の性」と思う。性同一性障害の場合、現在の社会システムでは生きてきた歴史や人間関係において「4.オーラ(仮)の性」に障害を抱えやすい。このことはあの椿姫彩菜でさえ、「男子校」で育った歴史が経歴的な問題だけでなく、女性との人間関係等において問題が生じたと告白しているし、私の友人の言では「椿姫彩菜は『男性からみた』女性の理想を体現している」というものがあった。

余談:生物学的女性でも男性の中で育つと椿姫彩菜のようになるケースがあるというから、一概に『男性からみた』女性の理想化は性同一性障害のみが原因とはいえないが…。たとえば小さなことでは共学では「男性の役割」を女性が遠慮して引き受けない。これも『男性からみた』女性の理想化に包括される。つまり『男性からみた』『女性』としての私を女性本人が意識して実践してしまう。


重要なことはこの「4.オーラ(仮)の性」は時間はかかるが「現在・未来に関しては修正が可能」ということだ。その修正方法として「女性としての暮らしをフルタイムで行う」がある。いわゆるリアルライフエクスペリエンス(RLE)だ。
リアルライフエクスペリエンス(RLE)で重要なポイントは「人間の中での経験」が必須であるということだ。なぜなら「4.オーラ(仮)の性」は人間関係の経験で形成されるのだから「人間の中での経験」がなければ実現は不可能だ。


これは性同一性障害の専売特許ではなく、たとえば江戸の歌舞伎役者芳澤あやめが「あやめぐさ」で以下のように書いている。
これが性別を越境するものの原則的教訓だろうと思っている。

「平生を女にて暮らざねば上手の女方とは言はれ難し」

性別越境ってかなり大変なのだ。


しかし世間的には表面的な「5.社会性」のみを安易に変えただけで「私は女です」と社会に通用すると思う人がでてきている。
女装だけで女湯に入ってしまう、昨日の容疑者の問題だけでなく、「1.肉体の性」を手術で変えて戸籍を変えて「診断書や戸籍を印籠がわり」に無理難題を通す人…。


「身体的限界がある」といういいわけがあると思う。
しかし井脇ノブ子が「女性」である限り、このいいわけは通用しないだろう。


「殺されるまでいくことは『まれ』としても社会的に抹殺されるかも」という恐怖がなくなったせいだろうか。
それとも社会が厳しくなっていくなかで「生活する場所」がなくなったことにより自暴自棄に陥ったのだろうか。


この「オーラ」、名称募集です…。