さまよう『性自認』−性別の多様性の迷宮
■「性別」を復習しよう…。
○一般的な性別概念図
三橋順子先生の図(本人のサイト参照)
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200902250000/
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200902250000/
■多様な性の構造
1.身体の性 セックス
2.心のの性(性自認) ジェンダーアイデンティティ
3.社会的性(性役割・性別表現) ジェンダーロール・ジェンダーパターン
4.対象の性(性的指向) セクシュアル・オリエンテーション
(三橋順子「多様な『性』を考える」「みんなの幸せをもとめて」東京都教育委員会)
「多様な性の構造」から「心の性、ジェンダーアイデンティティの形成」、「私(自分)単体での性別のあり方」を階層的に考えてみたのが、以下。
■伊東聰 原案…。
1.肉体の性(物理的生物学的に成立する性、医学分野) 原則として不変
2.性自認の性(精神的・心理的に成立する性、精神心理学分野) 不変
3.属性(帰属)の性(認知的・意識的に成立する性、脳神経科学?分野 不変
4.オーラ(仮)の性(歴史的・人間関係的に成立する性、教育学分野 可変
5.社会性(社会的文化的性、いわゆるジェンダー)、可変
ここのバランス感覚や価値基準が自他認識ともに合致すれば「対人・対社会のコミュニケーション面の障害」がおきなくなる。
逆にここが不一致を起こしていると「障害」がおきる。
ここに「障害」があると多様な性の構造の「4.対象の性(性的指向)」のあり方も非常に不安定なものになる。
たとえばよく話をきくのは「FTMゲイ」という存在のあり方だ。
これは
1.身体の性 セックス =>女性
2.心のの性(性自認) =>男性
3.社会的性(性役割・性別表現) =>男性
4.対象の性(性的指向) =>男性
◎「自分は男性で男性のパートナーを求めている」
となる。
ところがである。
本人がそのように思っていたとしても、「4.オーラ(仮)の性」が「女性」だったらどういうことになるか。
求める男性から見たときに「その人は女性だ」と認識するだろう。
当然本人がターゲットとする「4.対象の性(性的指向) =>男性」との出会いがなくなる。
「パートナー募集」と書いた場合に近づいてくるのは「ボーイッシュな女性が好きな人になる」。
つまり「ヘテロセクシャルの男性」が近づいてくるのだ。
当然「女性」として扱うだろう。
強い違和感感じるだろう。
そして別れる→次を探す→また「ヘテロセクシャルの男性」がつかまる
→また捨てる→色情の苦しみを味わうスパイラル。
→やがて賞味期限がきれてパートナーそのものがつかまらない。
→孤独→男あさりスパイラル。
注:筆者が「可能な限り一生添い遂げる的なものに『価値』を置いているので『不幸』と書いています。ひとつの価値観としてご了承ください。」
上記は本人の自認がしっかりしているので「本人の自己完結」であればまだいい。
今まであった中でもっと悲惨だったのは自分の性がころころ変わってしまう人だ。
動機は「早い話が『誰でもいいから【やれる】相手がほしい。」
やることが目的にあるから、相手の性のあり方はおかまいなし。
好きな人がいるときに「男」になり、ふられたら「女」になり。
またひどいケースでは「性の多様性」を片手にベッドインをせまる。
ベッドインして身体を落とすことができても心は落とせないから本当の意味でパートナーは得られない。
力で支配する行動を考えるようになる→孤立→自分が何者かわからなくなる
→ジェンダー・セクシャリティの迷宮をさまよう(いろいろな性の人と接触よけいに「?????」)
→時間が経過、老いがせまる→やがて最悪の場合最悪の決断をする
性の迷宮に迷いこんだ若い人はこういう人につかまらないことを祈る。
脱線的余談(読みとばし可):
だいたい被害者は生物学的女性が圧倒的(ヘテロ女性、レズビアン、FTM(オーラの性:女性))。
加害者の性別は本人が「不安定」であること以外はほとんどすべて(生物学的女性も含む)。
これも対社会的に見た場合に性的少数者への偏見および差別の主要な誘因である。
これがあるから人生形勢に重要な年齢(10代)がピアに出会う場所への参加を周囲の人が阻害につながる。
だからこそ、自助活動の精神は「学校教師」のような性的な倫理が求められると「当たり前」と思っていたのだが。
「いわなきゃわからんか?おい…。」
当たり前を「当たり前」といいつづけて、「当たり前」を維持する活動は確かに必要だが…。
だけど今「学校教師」のセクハラ・性的加害も増えているから性的少数者のコミュニティだけでなく、マクロな意味で社会全体で問題があるのかもしれない。「お水&性的少数者」という【夜の世界】のみにあったはずの「性的人間関係のトラブル」が全体的に【昼】の一般の生活の場に派生している感じがする。しかもこの問題は僕の子供のときから芽吹きだしたから、今の30代、40代で「おかしい」という感覚そのものがわからなくなっているのかもしれない。
個人レベルでリスク回避をしようとしたら、「私(自分)単体での性別のあり方」をなるべく早く強化して「毅然とした態度」をとることな。「多様性」という言葉を安易に鵜呑みにしてあいまいにしていたら、ずるい人間につけこまれます。ずるい人間は「いい人であることが多い」。「悪い人ではないが、深くかかわってはいけない」という「相手を支配しようとしている甘えがある=相手を自分の思うとおりに変えようとしている」という自覚のない人が多いから本当に注意です。
「加害者の行動を改めさせろ」周りの人が悪いという意見もあって、知っている人にはかかわったが、本人が自分から「変わりたい」と思わない限り、「加害者を変えることはできません」。
なので個人レベルでリスク回避が今考えられる限りの予防です。
被害者にならない、加害者にしない。これが双方のために一番いいことと考えます。