心に「性別」は【本当に】あるのか?


■さて本題、心に「性別」は【本当に】あるのか?
ふう、やっと本題にだどりついたか…。


さて上記の性別概念を語るときであるが、大体こういう問題を語るときは「心の性、体の性」という切り口で展開されてきた。


ところが、中村美亜さんというセクソロジストの方が2005年に「心に性別はあるのか?」という本をだした。

心に性別はあるのか?―性同一性障害のよりよい理解とケアのために

心に性別はあるのか?―性同一性障害のよりよい理解とケアのために

http://www.postmodernclinic.com/
http://www.postmodernclinic.com/


この内容は「性同一性障害とは何か?」という定義でよく使われる「心の性とからだの性の不一致」という「当たり前」であったはずのものに疑問を投じ、数々のエスノグラフィーを通じて「性同一性障害」とは「他人と自分の関係性の障害」だと結論づけた。そのため、従来の身体治療と法整備にのみ関心が集中している性同一性障害治療のシステムでは不十分であり、他者との関係性によって自己のアイデンティティを再構築していくことが必要である、という主旨の論文を一冊にまとめたものである。


これが学会発表であった。賛否両論だった。人づてにきいてその論文?を私がよんだときは「あまりにも性別のアイデンティティの問題解決を第三者に依存しすぎている、100人が受容しなくてもたった一人自分自身が受容することでえられる自己肯定のあり方もあるはずだ。」といった主旨のことを自分のHPの学会報告で書いた。その指摘を中村さんがくんでくださって、書籍のほうではその指摘を指摘を含んだ問題も解決されていたように思う。


いわんとすることはまさに上記の「4.オーラ(仮)の性(歴史的・人間関係的に成立する性)」に対する問題だろう。
いくら医療・法の分野で性別を解決しても肝心の社会、人間関係の中で問題が生じるようであればそれは「解決した」とはいわない。

その衝撃的なタイトルを性別越境者たちがどのように受け止めたか。


「トランスがわかりません」で「るぱん4世」さんが感じた存在のよりどころを根本からひっくり返されるような衝撃が赤裸々に展開されている。

トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考

トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考


要約するとこうだったと覚えている。(本が日本にあるのでごめんなさい…)
「そ、そんなこといわれたって。そんなこといわれたら『今ある』俺という存在はどうなる?」
そりゃそうだ。
ほかに証明するべきものがなくて、「心」というあいまいなものに頼をもつしかないわけで…。


■性別は動的なベクトルである!
心に「性別」は【本当に】あるのか?…この問題には大きな課題が二つあるんです…。


ひとつは「心」の概念の問題。「心」とはなにか。
もうひとつは「性別はどのような形をしているのか?」


こんな問いを発するには「おぬしなにかもっとろう」というところなのですが、然り。


結論からいうと「心の問題」が「身体か心か」の「心身二元論」でしかとらえられていない。
心身二元論」は欧米の思考ロジックである。
イスラームの思考では「心身五要素」で構成されている。
つまり五つだ。
「心か身体か」いうと二者択一の考え方では心の多元的な面を理解するにはあまりに貧弱なのだ。


そして性別。

1. 人びとよ,あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り,またその魂から配偶者を創り,両人から,無数の男と女を増やし広められた方であられる。

第4章婦人章 1-23
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran004-1.htm

O people, fear your Lord who created you from a single, including her husband and to create and broadcast their men and women…

يَا أَيُّهَا النَّاسُ اتَّقُواْ رَبَّكُمُ الَّذِي خَلَقَكُم مِّن نَّفْسٍ وَاحِدَةٍ وَخَلَقَ مِنْهَا زَوْجَهَا وَبَثَّ مِنْهُمَا رِجَالاً كَثِيراً وَنِسَاء

【ポイント】
まず男と女が別々に発生した【種】でないこと。(ひとつの魂からあなたがたを創り)
また配偶者が「彼女の夫」であることに注意。(her husband:زَوْجَهَا)
女性から男性をつくっている…。
つまり性別の原型は女性であるということがすでにクルアーンでかかれている…。


性別 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%88%A5#.E4.BA.BA.E9.96.93.E3.81.AE.E6.80.A7.E5.88.A5.E5.88.86.E5.8C.96


これは詳細は過去のHP復活後に披露するとして、たぶん生物学的に「別の種」であるかのような分類項目からグラデーションに性別概念が変化したのが21世紀の三大科学的パラダイムであるが、あくまで「性別」を【静的】なはじめから完成しているものとしてとらえている。

■21世紀の三大科学的パラダイム
1.遺伝子研究のパラダイム(DNA研究、ES細胞研究…)
2.性別研究のパラダイム(性別の多様性の発見→性別は男女2種類ではなく、連続している)
3.脳科学パラダイム(脳認識の多様性の発見→同じものをみて同じように見えていない!)


イスラームでは「性別」はベクトル(大きさ、方向)である。
最終的に「男/女」に向かってそれぞれの個々の差異にしたがって【動的に】完成されていくものなのだ。

基本ベクトル
http://w3e.kanazawa-it.ac.jp/math/category/vector/henkan-tex.cgi?size=3&target=/math/category/vector/kihon-vector.html

■自分の内面からみた性別のベクトル

性自認、社会性(ジェンダー)」を示す座標平面があるとする。
X軸を性自認、Y軸を社会性(ジェンダー)とする。
(−)を女性、(+)を男性とする。
ベクトルの力は基点(0, 0)から「外側」に広がるとする。

性自認、社会性(ジェンダー)」を示す→をAとする。
そのベクトルそのものは「帰属性」を示す。

1.座標が(X,Y)=(1,1)であれば限りなく性自認(男性)、社会性(男性)であるが、乳児〜幼児の性別意識に似て限りなく性意識は希薄で中性に近いということになる。
2.座標が(X,Y)=(10,1)であれば性自認(男性)は強いが、社会性(男性)は限りなく中性に近いということになる。
3.座標が(X,Y)=(1,10)であれば限りなく性自認は男性向きであるが、中性に近く、だが社会性への男性性は強い。
=>性別違和に対する恐怖心を持つ可能性が高い…。

1.座標が(X,Y)=(-1,-1)であれば限りなく性自認(女性)、社会性(女性)であるが、乳児〜幼児の性別意識に似て限りなく性意識は希薄で中性に近いということになる。
2.座標が(X,Y)=(-10,1)であれば性自認(女性)は強いが、社会性(男性)だが弱い、したがってボーイッシュな女性となる。
3.座標が(X,Y)=(-1,10)であれば限りなく性自認は女性向きであるが、中性に近く、だが社会性への男性性は強い。
=>性別違和に対する恐怖心を持つ可能性が高い…。

座標が(X,Y)=(-10,-10)であれば限りなくステレオタイプの女性に近いということになる。

■他人が外から判断する性別のベクトル

「肉体、オーラの性」を示す座標平面があるとする。
X軸を肉体、Y軸をオーラとする。
(−)を女性、(+)を男性とする。
ベクトルの力は基点(0, 0)から「外側」に広がるとする。

「肉体、オーラの性」を示す→をBとする。

1.座標が(X,Y)=(1,1)であれば限りなく肉体(男性)、オーラ(男性)であるが、性別不明なぐらい中性に近い。
2.座標が(X,Y)=(10,1)であれば肉体(男性)は強いが、オーラ(男性)は限りなく中性に近いということになる。
3.座標が(X,Y)=(1,10)であれば限りなく肉体は男性向きであるが、中性に近く、オーラ(男性)は強い。

1.座標が(X,Y)=(-1,-1)であれば限りなく肉体(女性)、オーラ(女性)であるが、性別不明なぐらい中性に近い。
2.座標が(X,Y)=(-10,1)であれば肉体(女性)は強いが、オーラ(男性)だが弱い、したがってボーイッシュな女性となる。
3.座標が(X,Y)=(-1,10)であれば限りなく肉体は女性向きであるが、中性に近く、だがオーラへの男性性は強い。

座標が(X,Y)=(-10,-10)であれば限りなくステレオタイプの女性に近いということになる。

■自分Aと他人Bのベクトルの内積をする。
1.ベクトルAとベクトルBで内積を行う。
内積の意味
http://naop.jp/topics/topics14.html


もしもAとBの方向は同じでAとBの間の角度が限りなく「0」に近いのであれば、内積の結果は正の数(>0)で大きくなる。内積の結果が大きいほど性別違和を感じることなく、個人の個々の特性を生かした男性/女性に育っていける。


ところがもしも内積の結果が0または負の数(=<0)であれば本人の内面の性別にしたがって育とうとしても外圧で成長するエネルギーが相殺されてしまい、「男か女からわからない状態」から一歩も育たなくなってしまう。


この中性の状態にとどめおかれたものがイスラームで定義された性同一性障害である。(97年:エジプト:by タンタウィ師)
ベクトルが社会/身体がふっている方向と違うために「男/女」に完成させたくてもできないのである。

アラビア語で「khnutha an-nafsiya, خنثة النهسية 心理的両性具有」

アラビア語wikiの説明は欧米の「性同一性障害」のそのままなので、「誰が書いたの?」と懐疑的である。
イスラーム研究者ではないかもしれない。

前後したけれど「心」は次回。