イスラーム圏のGID海外事情 その1

エジプトに渡航する前にGID支援センターで
医療コーディネーターの養成講座をつくる話があった。
できあがったときにはエジプト滞在だったので参加していなかった。


一時帰国(のつもり)の今、「いけるかも」とメールを打ったら、
急遽「イスラーム圏のGID海外事情」はなしてくれ、とのことで
月、火と突貫工事。


2年ぶりだな。発表は。
※資料は研究目的以外の資料紹介ができないので、ネット上にはUPできません。

この私のHPの紹介にあるように
http://www.geocities.jp/stshi3edgid/

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ここは1999年から異端・マイノリティとされてきた
「人間」を研究し、医療、法、スキル開発の観点で実践・提供しております

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というわけで、プロフィールにあるとおり、
http://stshi3edmsr.sakura.ne.jp/stshimsr/profile_history.html


1997年から10年間、東京 to 九州含む西日本のその手の「情報屋」として動いていた。
GID支援センターが発足してからは「一線」をひいているのだが…。


ちなみにこの医療コーディネーターの養成講座、
定員の倍を超える申し込みがあったそうで、抽選になったそう。


ただ、一部の方からは「医療コーディネーター」養成ではなく、
参加費用が高くてもいいから「公開講座を」という声もある。
どちらにしても「生の情報がほしい」のだ。

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少数者、特にハンデをネガティブにとらえている場合、
「ピア同士で集まって情報共有という行動ができない」ので
どうしても「障害に特化した」情報が不足・解決スキル不足になります。

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たしかに近年の学会で医学的、特に「形成外科領域」の発表が減った。


◆なぜイスラームにこだわるか
イスラーム圏に日本人が治療にいくことはまずないので、
「バラエティ番組を楽しむ感覚で」と断って話をすすめた。


さて、ブログには少しくわしくかいてみる。
なぜ私がイスラーム圏の事情にこだわるか。


「医療・教育・障害者・少数者の国際標準」をいうことを考えているからだ。
「国際標準」、ある程度の世界に共通した「1つの規範」が必要だ、ということだ。


たとえば、障害者であることを理由にある国では手厚く保護されるが、ある国では逮捕・虐待・抹殺される「アンバランス」があってはならない、ということだ。


また、ある国ではOKだが、ある国ではNG、たとえば「子どもの臓器移植問題」のように「日本ではNGだから、アメリカやドイツ、インドへ」ということがあってはならないということだ。


理由は「障害・少数者」であることを理由に故郷や共同体、母国語を失い、人と人のつながりを得られなくなるという厳しい現実にほとんどの人間は耐えられないからだ。


「ほとんどの人間は耐えられない」という問題が、先に書いた

「障害で将来を悲観」 両親が息子を殺害 大阪 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090531/1243744724


に代表されるような「悲劇」を引き起こす。


※その後にみつけた報道があるが、どうやらここで予測したとおりの展開のようだ。
http://mainichi.jp/kansai/news/20090531ddn041040005000c.html
http://mainichi.jp/kansai/news/20090531ddn041040005000c.html


そしてそれは私自身の34年の人生経験に動機がある。


先天性の障害をもちながら、誕生時に医療事故で二重の障害を負い、
教育できる施設がないため、下関の「長屋文化生活」を追われ、
岡山で「よそもの」として命にかかわるようないじめ方をされ、
学校でも家でも「生か死か」の極限の状態をすごす。


ユニセックス古代エジプトへ強い憧れをもちながら、
男女の区別に厳格なイスラームに対する「偏見」ゆえ、
びくびくしながらゴルゴ13のような思考を学ぼうとし、
いざエジプトへきてみれば日本よりはるかに
豊かなエジプト人の「寛容性」に「愕然」。
イスラームとは」を知りたくなって今に至る。


ゴールは「少数者でも長屋文化で暮らせる世の中」だ。
多様な人たちのつどう「妖怪長屋」のイメージだ。


まじめにこれ対応しようとすると、大変な「課題」だらけだ。
まず「多様性」ひとつとっても足並みをそろえるのが難しい。
現在「多様性」としているものはぜんぜん「多様性」ではないからだ。


「地域にすんでいる知的障害者を徹底攻撃してたたきだせ」という発想が
あるナレッジデーターベースで
私の岡山時代から30年たった2009年現在でも「ベストアンサー」に
選ばれてしまう民度でその事業の困難さはうかがいしれよう。


生きている間に「結果がでるはず」もない数百年単位の「課題」だが、
たぶん人間の本性からの欲求にもとづいているので
「継続できない」ことはないのだ。
「結果がでない」から人生に「飽き」がこない。


そのひとつとして「国際標準」の問題がある。


イスラーム圏のGID海外事情

では、その国際標準、世界視野で性同一性障害に関して「何がおきているか」


「性別越境者(トランスジェンダー)の病理化」をやめよう!


という動きだ。


ではどうすればいい?


(2009年5月22日 サンフランシスコでアメリカのトランスジェンダー人権活動家たちのだした意見はこうだ。


「DSM(精神疾患リスト)から性同一性障害をはずし、ICD(疾患の多様性リスト)に残す」


DSMはアメリカの基準だ。ICDは国際標準、つまり世界保健機構(WHO)が出している基準だ。


WHOはこれを「国際標準」として普及させており、世界の医療機関はこのICDに基づいて「診断」を下している。医療情報の世界は2009年現在「標準化」ができていないのだが、「標準化」するにあたってはICDというのは重要なマスタになる。


つまりアメリカさんがいっているのは「国内のやつは性同一性障害をはずして、性別越境者の病理化をやめて、医療との同性愛とちがって縁はきれないので、ICDには残そう」というわけだ。


一見明快にみえるが、
「ちょっとまてよ?イスラムの考えでははずしたら、やばくね?」ってわけだ。


性同一性障害イスラームでは「病である」をベースとして医療システム化されているからだ。
これをはずしたら「犯罪」、症例ケースによっては同性愛の罪で「死刑」のリスクが高まる。


◆なぜイスラーム事情も知る必要があるのか?
「国際標準」を考えるのになぜイスラーム事情も知る必要があるのか?

イスラームは世界3大宗教(仏教、キリスト教)のひとつで、14億人の信者がいる。
世界人口の3分の1を占めるのだ。ちなみに最大人口は中東ではなくインドネシア約2億人だ。


無視できないのに日本では無視してしまっている。
つまりみんな「多数派なのに」忘れてしまっているのだ。


「いや、忘れたいのかもしれない」
実際「イスラームなんてほろびちまえ」なんで「平気」でいう日本人がいたりする。


「ジハード/自爆テロ/無差別殺人」をやる宗教。
イスラームこわい、という大きな誤解があるからだ。


ジハードとはなにか。今度記事を書くが、要は「日本国憲法第9条」をめぐる日本のあり方みたいなもんだ。


イスラムでは「まず仲良くしましょう」。
でも「わしの島おそったらただじゃすまんぞ」と脅す(自衛権のための武力強化:核保有など)。
それでも攻め込まれたら徹底抗戦する(ex:パレスティナ問題)。
折り合いがついたら和平結ぶのもあり(ex:リビアカダフィさんの国際的和解)。


つまり「ジハードは『努力』が語幹の防衛(defence)」なのだ。


憲法9条のようなものをイスラーム圏の人はほしがっていることを日本人は知らないだろう。


「わしのゆうこときかなんだら敵とみなして皆殺しにするぞ」とか「やられたらやりかえせ」そして問題となっている同性愛差別の原因となっているソドムの話は旧約聖書の『創世記』、ユダヤ教的価値観だ。


非戦闘員の上にじゅうたん爆撃したり、核を落としたり、奇襲攻撃して赤子の国家指導者の娘までを殺す。相手を選ばずに「敵とみなしたら無差別に皆殺し」。これはイスラームでなくユダヤ教ベースの考え方だ。


日本人のメンタリティは欧米ではなくイスラームに似ている。
実は国際条約の舞台で欧米諸国が「YES」といっても日本は絶対に動かない。
日本は「あとだしじゃんけん」なのだ。
だが、イスラームも動き出すとなぜか動く。


なぜこうなのか、については明治維新からの「隠された意図」が存在する。


<つづく>