言葉にならないそれぞれの


八方ふさがりのときは「まず行動する!」が伊東聰の定番で
「あーくるしかった、かなしかった、つらかった」は親しい人への事後報告。
事前報告&経過報告はやはり「下手」。
それじゃあいけないということで「説明責任」を意識したが、やはり「ダメ」。
言葉を考えるのが苦痛だ。


とりあえず「困ったときは手をあげるから、経過プロセスだけ報告」というスタンスがやはり一番あう。


まあ言葉にならないいろいろはいろいろあって。


わすれんうちにかいとくとじゃなあ…。


■「依存性支配欲」
僕が相談した問題に友人がいった言葉。
うまいネーミングだな、と思ったな。


関係性に依存して自分の支配欲をみたすということ。
「おめーはおれの女だからおれのいうことを聞け」という夫&彼氏とか、
「おれがあいつの一番の友人だからあいつは俺のことを優先してくれる」という友人とか、
「あいつは若くて子どもだから僕が守ってあげないといけない」という上司&先輩とかね。


これはうけとる相手を自分より下、半人前扱いにみることで自分の支配欲を満足させる。
それで一見相手のことを考えているようで実は「相手の世界をまったく考えていない」。


半人前扱いにみられた相手は「牢獄」にとらわれたようになってしまって、その力関係から抜け出せない。


これが俗に言うパワハラパワーハラスメント)&モラハラモラルハラスメント)だ。


パワハラ上司は4タイプ:ウリ坊'sブログ
http://mak-blog.seesaa.net/article/107611951.html

パワハラ上司を4つに分けてみる
(1)怒鳴るなど威嚇する「自己中心型」
(2)細かく指示する「過干渉型」
(3)自分の上司頼みで責任を回避する「無責任型」
(4)意欲に乏しく部下に負担をかける「事なかれ主義型」


パワーハラスメント - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88


「心配しすぎの過干渉」は結構あるが、私にいわせてもらうと「相手をスポイル(ダメ)する」。
要するにその人の力量を信用していないということだからだ。
相手を育てるどころか「つぶす」。

心配している人には悪気はないのだけど…じゃあどうすればは後日解説かな…。


■「自分のキャリアに傷がつかないようにたちまわることがなぜ悪いか」
タイトル考えるのが難しかったぐらい「言語化」が難しいのだけど、どうしてもわかってほしかったことだけど、どうすればいいのかわからかなった。


これは「自分のプライド」が傷つかないように「キャリア的に成功」しか残さないように動くことですね。
相手や会社や社会といった「大局のために」毅然とした態度がとれないのだ。
これ最近流行の「コンプライアンス」や「企業倫理の問題」とつながるのだが。
わからない人にはわからないのだよ。
共通するのは「責任が重くなるものを『回避しよう、回避しよう』」とそれだけのためにものを考えるのですよ。一見結果がいいから「正しいようにみえるのだけど」というところで困っていた。


ヒントになったのは「大雪山の大量遭難事故」だ。
「ああ、これだ!」と思った。


http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090717-OYT1T01118.htm
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090717-OYT1T01118.htm



「八甲田雪中行軍遭難事件」をもちだした人がいた。
「それそれそれ!」と思った。


八甲田雪中行軍遭難事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


いずれも事前準備と判断が明暗を分けた事件である。


そして暗部には「自分のキャリアに傷がつかないように強行」という心の働きがあったと思うのである。
コンプレックスであったり、会社や周囲の圧力に「YESマン」になっていたり。
その結果、周囲を巻き込む未曾有の惨事になることも少なくない。
そしたら「自分のキャリアに傷」どころの話ではなくなる。
「俺が責任取る」と毅然として「NO」といってひるがえす決断があれば多くの人を死なせることもないわけで。
実はコンプライアンス違反を起こしやすいのもそのタイプである


生活保護やホームレス問題その他。

今日ははやくあがれたのでプチ観光したのだな。
そしたらパネル展があって、「河川工学の話」。
「ああ、おもしろーい」と思いながらみていて、あるパネルにぎゅっときた。


「ホームレスさんたちを河川から追い出して公園にした」。


たしかに何も考えることなく散策ができるような道にはなったのだけどね…。


私が日本の国土のどこでも「誰かの所有物」だからただで住み着いてOKなんて考え方はあってはならないと思う。


しかしホームレスになってしまうなど、人生の転落にはさまざまな理由があってその社会保障のしくみとして「生活保護」をふくめたいろいろがあるのだけど…。


10年間ずっと大きな問題だと優先順位は低いが感じていたのは、一度転落したときに脱却するのが難しいのだよ。もしくは「はじめから底辺だった」場合に「普通」を得るのも難しいのだ。


「どうすればいいのだろうね」と思ったときに少し感じたのは、
「タイプ」と「レベル」で細かく支援の手段を変えるということ。そしてステップアップする形にすること。


だいたい底辺になってしまう大きな原因が「病」だったりする。
理性が働いて人間関係ができる人はまず底辺まで転落することはない。
転落しきる前に助ける人がでるからだ。
そして助けられたときに「助けられた恩返し」ができるのだ。
つまり助ける&助けられがフェアな関係でできるのだ。


ところが、そうでないというのはどういうことか。
まず「健康上の障害」「メンタルヘルスの障害」「コミュニケーション障害」の三重苦をもっている。
「助けて」がいえない、「恩返しはできない」、「ステップアップに必要な継続力」がない。


だから「現状維持」だけで必死なのだ。


10年間うーん。
そこなんだよ。


「健康上の障害」「メンタルヘルスの障害」「コミュニケーション障害」をやとう人はまずいないから、「仕事がない」「仕事ができない」といういいわけは確かにそのとおりなのだ。


そうするとまずその三重苦を解決するプログラムが先だと思うのだ。


三重苦が解決すれば本人が答えをもっている「理性的な解決手段」が思いうかぶし、「実行&行動しよう」という元気がでてくるのだ。


「助けて」がいえない、「恩返しはできない」、「ステップアップに必要な継続力」の問題も自然と解決するのだ。


本人が「働きやすい状態」で働いていれば「継続」もできる。
「継続」ができれば底辺から脱却できる。


叱咤激励では「病」は治りません。
叱咤激励で難病が治れば「難病認定」はいりません。


だけど病は「なってみないとわからない」のだよな。


「コミュニケーション障害」があって、「メンタルヘルスの障害」へ以降、「健康上の障害」になる。
であれば「コミュニケーション障害」に対するプログラムが必要だ。


「健康上の障害」から「メンタルヘルスの障害」、この場合は精神的負担を軽くすることが大事だ。
ホームレス生活のいいところは生活に必要な金銭のやりくりで悩む必要がない。
なまじ家があると「家賃が」「水道が」その他、と気がやすまらないのだ。
三重苦の場合は金銭のコントロールすら不可能な場合があるから、最低限の衣食住が「管理」されている環境が必要かもしれない。


特に重症の場合は「衣食住」を自分で考えずに「眠り続けること」も大事かもしれない。
そして身体を回復するための食、そして日常生活の動作でリハビリ。


そして理性が回復したら、リハビリ、そして再発防止プログラム、そして自動車教習所の「仮免許」のように社会に出て、しばらくはジョブコーチして最終的に独立。


三者が介入して徹底的にささえてやらないといけないケースが圧倒的に多いのだよな。
これは「パチンコ等」の依存症に対してもいえると思う。
あれは「治療の必要な病」です。


とにかく「理性的に思考ができるようになること」が大事。