本家の伯父に思う

本家の伯父の三回忌だった。
2年前「年を越えられないかも」と弱音をはいたそのまま12月18日0時に逝去。


72歳。ちょうど一年前に母である祖母を見送ったあとにまさに「母のあとを追うように」ってやつだ。
迎えにきたのかなあ。
娘の花嫁姿をみられたのがせめてものの幸せ。


死因は肝臓がん。
12年近くと共存しながら生きてきたのでかなり長生きしたほうだとは思う。
12年前に解離性大動脈瘤で死にかけた。そのときに肝臓ガンと判明。


入院中に差し入れられた妻からの本は、「弟」
これはかの有名な東京都都知事の弟、石原裕次郎の伝記だ。


弟 (幻冬舎文庫)

弟 (幻冬舎文庫)


彼は解離性大動脈瘤で死にかけ、肝臓ガンで苦しむ。
すなわち伯父にとっては「自分がどのような苦しみ、どのような死に方をするか」をシュミレーションできるような内容になっていた…。
見舞いに来てふきだす義妹。
「兄さん、鍛えられるね…(汗)」と弟すなわちわが父。


しかし地獄の苦しみとされる肝臓ガンであったにかかわらず、伯父は12年の「がんライフ」を満喫した。
寝たきりでもなく、入院しっぱなしでもなく、自力でトイレもいけて、普通の楽しみの生活もできた。
ガンが再発したら、処置するために入院する。
良くなったら退院して、変わらぬ日常を楽しむ。
そんな日々を繰り返した。


闘病、という空気を感じさせなかった。


もともと防衛大学の二期生で自衛隊に勤務、35歳で転職、生涯をパイロットとして生きた伯父はいつも「死ぬのはこわくない」といっていた。すでに「死」というものをひきうけて生きていた。だから、「生への執着」という痛みがなかったのかもしれない。


祖母の一周の予約をしていたその日が施主の葬式になってしまった。
菩提寺の坊さんにしてみれば法事が通夜、葬式に変わったのだ。
まさに伯父が大好きなミッション完了ジャストミートの人生だった。


弱った身体でも入浴しやすいようにと彼の娘は買った椅子が彼の死の直後に届いた。


完全燃焼した命というのは木がその葉を散らすように、はらはらと散っていくようなものなのだと思った。
死がとても苦しいものになるのは、「きちんと生ききれていない」ために不完全燃焼になるためだ。
不完全燃焼になったら、「死」はとても苦しいものになる。


不完全燃焼になるのはその人が一生懸命自分の人生を生きていないから。
一生懸命生きていないから、「生に執着する」「健康に執着する」。
自分の人生を生きるために時間が足りないと感じてしまうから。


違うか?違わないと思う。
健康的に生きることになんの目的があるの?
いたずらに時間だけ重ねてなんの意味があるのだ?
健康は手段であって目的ではない。
自分の人生を他人にゆだねたものほど年をとるほどに生に執着する。


正直、五体満足な人がうらやましかった。
伯父の自信に満ちたまっすぐな生き方がうらやましかった。


だから五体満足に近づきたくて、いろいろな医療的ケアを尽くした。
それがおわったとき「やっと自分の人生を生きられる」と感じて、歩きだした。
俺も「命を完全燃焼させて、自分の人生を生きたい」。
もう二度と人に私の命をコントロールされたくない。
そう思って日々をすごしている。