HIROSHIMAは還らない


昔友にたずねたことがある。
HIROSHIMAの文化は永遠に失われたのか?

今のHIROSHIMAは生粋のHIROSHIMAではないだろう、と。


紙屋町のあたりは「職人の町だったらしい」

友はそう教えてくれた。

私の脳裏にあったのは。あの日のこと。
1945年8月6日。
戦時中とはいえ、いつもの日常のはずたった。

8時15分。

T字のデザインで有名な相生橋

そこに世界初の原子爆弾が落とされた。

島病院の600m真上でそれは炸裂した。


熱線。火の玉。爆風。

ちょうど電子レンジの中に
閉じ込められたようになったHIROSHIMAの町は、
芯まで焼き尽くされ黒こげになったあげく、
音速をこえた爆風でこなごなに消し飛んだ。
ガラスがモノが、
すべて銃弾のように身体につきささる。

助かった/助からないは運不運でしかなかった。

通常の火事と違う。
通常の災害と違う。

熱さを感じぬまま、
体の中から熱せられた体は重い火傷になった。

ほとんどが外傷性ショックで即死した。


火傷の応急手当は水で冷やすこと。
だが、そこには熱湯しかなかった。

水ぶくれが破れ、皮膚が垂れ下がり、
体液の喪失をさけるため、
幽霊のポーズをとる。

最後に家族に会えて、見取られたものはまだ幸い。
いまだに行方がわからない人たちも多い。

遺体はまとめて焼かれ、まとめて埋められた。

そのときは命あっても
放射線でこわされた体の「設計図」。
回復できず苦しみの中で死んでいった。

こわされた設計図で細胞分裂がとまる。

だから無傷な人でも、
髪が抜け、粘膜が破れ、
体力のないものは命たえた。

そして次世代にまでその苦しみは受け継がれる。
被爆者3世、4世。
そこにまで「障害」が発生する。


核爆弾の恐ろしさは数千年に渡って蓄積してきた
文化・世代の継承が一瞬にして破壊されることだ。

爆心地はHIROSHIMA随一の職人街繁華街。
HIROSHIMA城築城以来の歴史ある町。
文化遺産のある町。

一瞬で灰になった。


朝早くから動員された中高生。
6000人が一瞬にして焼け死んだ。
その数地方都市で高校に進学する人数と同じ。
当たり前の生活をしていた学生が全滅した。

当たり前ができなかった人、奇跡の人だけが生き残った。
しかしその学生生活は「よそ者」がマジョリティとなった。
HIROSHIMAを知らぬものがHIROSHIMAを再生した。

郊外にある老人ホーム。
原爆は家族システムも破壊した。
10人以上の大家族、親戚。
一瞬にして死んで天涯孤独

身寄りがないまま老いてしまった被爆者たち。
誰が扶養するのだろう。


「公園の上に落ちたのが不幸中の幸いでしたね」
海外の新聞記者の感想。
違うのだ、そこは公園ではなかった。
彼らの家があった。日常があった。
町があり、文化があった。

やりきれぬ思いで復活させたCGのHIROSHIMA。
だがそこには人はいない。

確実に死んでしまう彼らを再現するのに忍びなかった。

あの公園のあちこちに今も尚、遺骨が眠る。
灰になり、土にとけたまま、眠り続ける。

◆広島の原爆
広島市への原子爆弾投下 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B


原子爆弾 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE

広島平和記念資料館 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8

広島平和記念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/

原爆死没者慰霊碑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91

<原爆投下再現映像>


http://www4.ocn.ne.jp/~knack/index.html
http://www4.ocn.ne.jp/~knack/index.html

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/02abom/cg/cg.html
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/02abom/cg/cg.html

<日本の原爆開発>
小中学校のときにこの話は聞いていて、調べて漫画にかこうとしたことがある。
最近になっていろいろでてきている。
技術的に開発できるし、研究としては日本・ドイツがすすんでいたらしいが、
形にするのにものすごく開発コストがかかり、
大衆消費、物質文明のアメリカでなければ事実上、ものはつくれなかった。

必要なウラン鉱脈も岡山・人形峠にあるとは当時は知らず、
海外から手に入れるしかなかった。
国内資源に乏しい国では無理な話であった。

一般人のなかではたった1発の爆弾と知らずに、
「自分のところ自分だけがまともに食らった」と
思いながら死んでいった人が多いが、
理学系の研究者のなかでは
すでに原子力をつかった新型兵器のうわさはきいていたらしい。
なので、落とされたときに、「これがそれか!」と思った人もいるという。(伊東聰)

日本の原子爆弾開発 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

仁科芳雄博士が「ウラン爆弾」の研究を進言。
1941年4月、陸軍航空本部は理化学研究所原子爆弾の開発を委託。
「日本は終戦3日前、原爆を完成しその実験に成功した。」 (46年スネル・リポート)」


http://homepage3.nifty.com/time-trek/war/atom.html
http://homepage3.nifty.com/time-trek/war/atom.html