ナガサキ、永井隆博士のこと

私は図書館の成人の部デビューでよんだ
最初の一冊を本を今でも覚えている。
10〜11歳のころだったと思う。


この子を残して(四六判)

この子を残して(四六判)

「この子を残して」


医学博士でかつナガサキの原爆被害のイコンである永井隆の本だ。


児童の本にナガサキの原爆を扱った
「ロザリオの祈り ?〜ナガサキの原爆を生きぬいて〜」がある。


ロザリオの祈り ?〜ナガサキの原爆を生きぬいて〜
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/e364e68ad86fa90e76e6b1fef4a2510f


4歳のかやのちゃんが原爆で母をなくす。
父はすでに病気により余命3年を宣言されて死にゆく身。
「かやのちゃんはどうなってしまうんだろう。」
気になったらとことん調べあげたい性格の私は
かやのちゃんの父が多くの著作を残していることを知る。


その一冊が「この子を残して」だった。


「小学生には内容が難しすぎるかも」
司書のお姉さんがとりよせてくれた一冊。

この子を残して…この世をやがて私は去らねばならぬのか! 母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさない心のいじらしさ。
戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取りとめたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

「一日でも一時間でも長く生きてこの子の孤児となる時をさきに延ばさねばならぬ。一分でも一秒でも死期を遅らしていただいて、この子のさみしがる時間を縮めてやらねばならない。」
(いずれも「この子を残して」より)

自身の生い立ちのためか、私はシングルファーザーに弱い。


永井隆は医者であり、研究者であり、シングルファーザーである。
原爆被害当事者であり、原爆被害の支援者でもある。
白血病による寝たきりの「障害」をもつ弱者であり、
弱いものを助けるシステムをつくれる強者でもある。
永井の強さ、それはキリスト者であることとは切り離せないだろう。
「当たり前のことをしただけ」の彼はその強さ奇跡ゆえに「聖人」と呼ばれた。


たしかに内容は今思えば
キリスト教などの一神教的な教養がなければ
理解するのは難しかっただろう。
事実、永井のキリスト教的な思考はアメリカの原爆投下そのものも肯定することになり、その問題に関する批判も多い。復讐心、怒りを認めず、「許し」をベースとするキリスト教の限界ではある。


しかし事件と行動で読み解くくせのある私としては
キリスト教ユダヤ教の区別がつけられない程度の教養でも
永井の思考、そして行動を読むのは難しくはなかった。
強烈に感情に訴えるものがあったため、
強烈の読後の感情も覚えているのだ。


この子を残して

この子を残して


永井隆(1908年2月3日 - 1951年5月1日)


島根県で医師の家庭に生まれ、長崎医科大学で医師になる。
卒業するころに中耳炎で軽い聴覚障害になる。
聴診器が使えない→診断できないリスクを考え、放射線医学を志す。


下宿先でカトリックの教えを知り、キリスト教徒になる。
下宿先の大家の一人娘緑ともめぐりあう。
洗礼を受けた後、キリスト者としての実践を義務と課す。
緑と結婚する。
夭折した長女を含めた一男二女にめぐまれたが、
放射線研究の職業病ともいえる白血病で余命3年を宣言される。
ゆえにかやのちゃんが4歳になるころには
37歳の父永井隆は「余生」を生きていた。
自分の死後のために緑夫人に大事なことをひきつぎ、
すべてを託したはずだった。


だが、8月9日11時2分。
ナガサキに落とされた原爆により、棺桶に片足をつっこんでいた
「余生」計画が完全にくるってしまう。


原爆の二日後に台所で拾ったロザリオと妻の骨片。
「自分の人生はなんだったのか」
「なぜこんなことになったのか」
「神はなぜこのような試練を与えるのか」
不条理への悲しみを祈りで封じ込めた永井は
「原爆によっておこされた」危機と戦うことになる。


原爆投下直後。
白血病という病身では危険な大出血。
それを応急処置をしたうえで限界まで医師の本分、被害者救済にあたった。
軍医だったこともある彼は
こういう場合の自らの体のスペックを知っていた。
その戦いは原爆の火災で
長崎医大が焼け落ちるまで続けられた。


そして「原子爆弾救護報告書」を作成。
さらに「人がすめぬ」と言われたナガサキの地を歩き、
復活している自然の数々を元にすめることを証明。
病気が重くなり、寝たきりになっても、
訪問者との面会や著作活動。
著作4年間でその数13作。
その収入は原爆被害者のために使った。


日本とは違うナガサキという宗教的異国。
戦国時代からのキリスト教徒迫害の歴史と戦いづつけたその国は
同じひとつの神を信じる一神教の「仲間」だった。
なのに同じキリスト教徒がキリスト教徒を
「原爆」という地獄の業火で焼き殺した。


しかもその原爆は当初の軍需工場上空ではなくて、
風に流れ流され、よりによって告解の最中の浦上天主堂上空。
信徒9000人が2000人に減った。
この不条理にキリスト教の信仰そのものが迎えた危機。
永井はそこにも意味を与えた。


ナガサキは『犠牲』だ」と。


「怒りのヒロシマ祈りナガサキ」と呼ばれた
ナガサキの許しは永井にはじまる。


そして残された子供たち、
誠一(まこと)と茅乃(かやの)兄妹の父としての戦い。
「余生」から「一日でも長く生きる」戦い。
カトリックという宗教システムがもたらす家族感か、
それともそれがヒトの父の本能か。
「成人まで生きられぬとしても、せめて父の記憶が残る年まで」と
執念でのびた寿命は2倍の6年。
人間が精神的に親から独立する、とされる年は9歳。
かやのちゃんが9歳をこえたそのときに永井はこの世を去った。


43歳。


最後まで研究者としての視点を忘れず、
遺体は後学のために病理解剖へ。
病のため、内臓が肥大し、死因は白血病による心臓衰弱。


永井が暮らした如己堂はその後記念館となる。
記念館館長になった誠一氏は2001年の自身の誕生日に、
原爆を伝える作家となったかやのちゃんこと、茅乃氏は
2008年永井生誕100年の前日に
ともに66歳で亡くなった。


娘よ、ここが長崎です―永井隆の遺児、茅乃の平和への祈り

娘よ、ここが長崎です―永井隆の遺児、茅乃の平和への祈り





◆長崎の原爆
長崎市への原子爆弾投下 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B


己の如く人を愛したひと 〜永井 隆〜
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/japanese/abm/insti/nagai/nagai_s/nagae01.html


永井隆
http://www.geocities.jp/bane2161/nagaitakasi.html


永井隆 (医学博士) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E9%9A%86_%28%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E5%A3%AB%29


永井隆(浦上の聖人)>
※くわしいブログです。
http://blog.m3.com/yonoseiginotame
の2010.01.21の記事です。

永井隆(浦上の聖人) 1
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/1
永井隆(浦上の聖人) 2
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/2
永井隆(浦上の聖人) 3
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/3
永井隆(浦上の聖人) 4
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/_4
永井隆(浦上の聖人) 5
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/__5
永井隆(浦上の聖人) 6
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/__6
永井隆(浦上の聖人) 7
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永井隆(浦上の聖人) 8
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/__8
永井隆(浦上の聖人) 9
http://blog.m3.com/yonoseiginotame/20100121/__9