伊達政宗に学ぶ 「障害者リーダー」を育てる メモ その2

いつかきちんとした記事を書こうとおもって、
メモをかいたら、そのまま1年が経過。
1年以内に書くとおもわないので一応そのまま掲載

以下

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※2010年11月27日の記事

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伊達政宗の【障害】克服>

1.料理が趣味
戦国武将にはいろいろな趣味があるが、料理が趣味というのはめずらしく、現代に通じる料理専門家であるともいわれる。


最初は兵糧開発からはじまり、のちに美食研究になったといわれるが、もっと根本には「虚弱体質克服」の食事療法があったとの話がある。


虚弱体質で偏食の政宗にまず野菜づくりを教えて、収穫した野菜を調理する楽しみを教えた。泥だらけになって畑仕事をすることで体も健康に成っていった。


障害をもつ身、+友人のケースをみても、料理/食事へのこだわりという共通点がある。ダイレクトに体調にひびくので「何を食べてもいい」という気分になれないのも事実である。


「障害抱えてベストを尽くすには『食』を制す」という感じかな。



2.「障害者起業家がかかりやすい4つの「病」」にはどう?
ヒュブリス(傲慢)の病、ルサンチマン(恨み)の病、クイーンビー(女王蜂)症候群、燃え尽き症候群

小田原参陣までの間にヒュブリス(傲慢)の病ルサンチマン(恨み)の病の2つを克服している。ヒュブリス(傲慢)の病は秀吉によって収まったという感じか。


そのあとは結構理性的な行動をしている。


クイーンビー(女王蜂)症候群政宗が棟梁であるというシステム的な序列がしっかりしていた+ほかに当事者がいないためにおきにくかったが、弟政道との関係をそこに含めることは考えられる。


燃え尽き症候群???
であるが、なくなるまで一日たりとも無駄にしなかったという政宗の生活習慣でこれもおきなかった。


3.慈父と厳母
通常障害者の両親というのは「理解のない厳しい父」「甘やかしすぎる母」というのが多いが、政宗の場合は逆だった。それが結果的に政宗の障害克服にかったとおもわれる。

障害をもっていても政宗を愛し、期待し、徹底的によいと思われる教育をほどこした父、輝宗。


障害がハンデになるなら出家してしまえと政宗の障害となりつづけた母、義姫。


よく義姫がみにくくなった政宗を疎んじて、政宗との仲が不仲だったという説がいわれるが歴史資料的には不可解なことが多い。

もしも「障害児の母」が政宗を書いたら別の解釈がでるとおもう。


「障害児の母」の母がよくおちいる心理として、わが子が障害を負ったときに自分のことのように責めつづけるというのがある。それがすぎるとわが子に向き合えなくなることがある。しかし、子どもは母に無償の愛=ありのままの受容を求める。そのため「向き合ってくれない母」=愛してくれないと解釈することがある。これが幼少時の政宗と義姫との関係であったのでは?とおもう。


また、障害の直面する問題に「まず生きられるかどうか」がある。政宗のような状態では「戦国武将としてのキャリアは無理」と判断するのが普通かもしれない。