伊達政宗に学ぶ 「障害者リーダー」を育てる メモ その3

いつかきちんとした記事を書こうとおもって、
メモをかいたら、そのまま1年が経過。
1年以内に書くとおもわないので一応そのまま掲載

以下

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※2010年11月27日の記事

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伊達政宗の【障害】克服>

実は政宗以前に「障害もつ」武将がいたかどうか、というといるにはいるんだ、これが。たとえば武田信玄の次男、海野信親大河ドラマではいきなり坊さんやっているけど、出家して現場から一線引いたのはもう少し年食ってからのよう。逆にいうと若いとハンデぶっとばせでがんばれるんだろうけど、やはり限界感じるのだろう。


海野信親 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E4%BF%A1%E8%A6%AA


毛利元就3男の小早川隆景の義兄にあたる小早川繁平。中途失明らしい。大内義隆によって引退させられている。

小早川繁平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E7%B9%81%E5%B9%B3


両者とも全盲なので政宗と比べると酷だけど、やはり政宗のスケールはすごい。


あと同時代でいうと伝説上の人物であるが、武田信玄家臣の山本勘助も障害者だ。


大河ドラマでは「障害ゆえに坊さんに」という周囲の希望をけって「どうしても武士になりたい」と実現した人。もっともこの人はフィクションである可能性も高いが。


しかし山本勘助まで考慮すると、日本に希望があるのは「
日本人は障害をもっていても、一般枠で戦って成功する物語」
大好きかも、ということ。


4.教育システムとサポーター
片倉喜多、小十郎兄弟、虎哉宗乙。私は虎哉宗乙和尚の教育で「これだ!」とおもったのは、「ひねくれもの」を育てる教育をしたこと。もっというとものをきちんといろいろな感性でとらえる教育をしたこと。「ひねくれもの」であるということは多様な観点でものを判断し、自己主張できるということだ。「ひねくれもの」であるためには自尊心が強くないといけない。政宗はそれを養われたのだ。


これは今の障害者教育に一番かけているものだ。


今の教育は障害者に「従順であること、よい子でいること」を教える。でも、事実は逆だ。「従順であること」を教えられた障害者は不幸に巻き込まれやすい。


時代が時代であったせいもあるが、「従順であること」のみで長にはなれないという背景もあったと思われる。


5.ロールモデルの提供???
仏教、儒教の教えから考えて、障害をもつ政宗はネガティブにとらえられるとおもう。しかしなぜか、隻眼の行者、満海上人の生まれ変わりであるという逸話ができた。これ、政宗が生きている間にすでにあって、政宗の霊能力で農民の病を治す的物語りもあるらしい。


これ…障害を肯定的に受容できるように周囲がわざと物語つくったのでは???


また信長にあこがれた、というのもよく物語にされる話である。


6.適切な医療ケア
政宗の容姿上の大きな問題は「飛び出た眼球」である。天然痘によるあばたは化粧で隠せるのだけど、飛び出た眼球だけは当時の医学ではどうしようもなく、政宗の心身をむしばんでいた。


眼は神経は多く通っているため、現代医学でもきちんとした医療技術が必要で、中国の写真では政宗の状態になっている子どもの姿を眼にすることがある。(たしかにぎょっとする容姿だ。)


「どうせ治らないのだから」と通常はあきらめがちである。


だが、政宗の父が「このまま放置して一生にひきこもりになるよりは、死ぬかもしれないが、手術にかけたい」と考えたとの話。


結果容姿の問題が緩和されて、本来持っていたキャラクターを取り戻したそうだ。


つまり「自然体がいい」とのむやみな自然崇拝に依存するのでなく、ある程度の人間の知恵と決断による関与がQOLをかえるということは非常に重要だと思う。