伊達政宗に学ぶ 「障害者リーダー」を育てる メモ その4

いつかきちんとした記事を書こうとおもって、
メモをかいたら、そのまま1年が経過。
1年以内に書くとおもわないので一応そのまま掲載

以下

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※2010年11月27日の記事

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<障害をもつ兄、弟 試論>

大河ドラマの時代にはない歴史学的な資料も多く発見されている。
それによると若いときの母との不仲説にも疑問があるそうだ。一方で死後7代までの勘当をいいいわたされた弟、政道との関係も不明だ。


従来は母の偏愛で政宗を廃嫡し、政道を棟梁にという陰謀があり、母が政宗の食事に毒をもったから、というものであった。


資料的には違うらしい。


母子の不仲は豊臣向けのパフォーマンスだったという説があるが、では弟は???


事件が別物だったのではないかなと私はおもう。


家臣たちにとってみると、障害もちで扱いにくい問題児化した聡明な兄と、健常で素直で聞く耳をもつ「よい子」でおバカの弟


どちらを棟梁にしたいかと問われたときに、やはり弟政道を押すだろう。


健常児の兄弟がいたら人の期待はそちらにいく。理由はやはり「扱いやすい」からだ


弟のほうが頭よかったみたいな文もあるが、事実が逆だろう。


教育背景上、政宗は頭よすぎて扱いにくいのだ。創業者としてのセンスはあるが、組織の傀儡力がないのだ。


組織の中の「傀儡力」がない。


これはほとんどの障害者にいえるだろう。


背後にある最上家ベースの母の陰謀うんぬんとは別のところで、弟サイドによるクーデターがあったのではないか?


弟ごと反政宗派を粛清した。それが「7代までの勘当」だろう。




7.魅力的なキャラ作り

美少年だったが天然痘のため、容姿がみにくくて、という話はよく伝わっているが、一方でやはり「女性と見間違うような美形だ」という話が伝わる。


考古学的調査によると「美形は美形」らしいが、とちらかというと「男らしい」系の美形だそう。*1


「女性と見間違うような」は凱旋の行列のときに女性を影武者としてつかったという逸話があるらしい。


それにかぎらず「伊達もの」という言葉にあるように政宗の行動にはキャラクターがたつような言動・ファッションが多いし、その辺の演出にものすごく気を使ったらしい。


実は容姿にハンデをもつ場合にキャラ立ちさせることというのは社会復帰に有効で、アメリカ等ではそういう指導もある。


昭和の日本では「障害恥ずべきもの」社会に遠慮するものという意識がつよく、極力容姿的な魅力を削除する方向にうごいていた。


「分相応」という言葉だ。


そのことで障害者に対する「かわいそう」という「障害はいやだ」という差別意識を助長した可能性が高い。


平成時代のわかる自立的な障害者はそのあたりの演出への意識は高い。


8.早く大人としての責任を持たせる
障害をもつと永遠の子どもとして親が扱うケースが多いがまったく逆効果。


障害児の場合、子どもとして扱うと長じてくるにしたがって、修正が利かなくなる。


はじめから大人としての行動様式を叩き込み、大人としての責任を叩き込む。


そのことが自尊心の低下防止になるのだ。人間の自尊心の最後のとりでは「自己責任で自己完結で行動できること」


政宗の場合、11歳で元服、13歳で結婚だから、大人になる時期が早い。*2


9.よき妻・恋人・家族


一番の課題であり、難題であるかとおもうのだけど、障害のコンプレックスはそれに救われることが結構あるようだ。


障害のコンプレックスの何が問題か?をあげたときに、「彼女/彼氏ができない」「結婚できない」をあげる人が多い。


兄弟の結婚で不安定になる障害者もいる。


障害もち+武家の棟梁というだけでは伴侶にめぐまれない時代にあって、政宗は大家族だったし、男女両方の恋人がいた…ような気がする。


また家族のサポートというのも重要なポイントで、障害克服課題+家族問題となってしまうとさらに障害が重くなり…にっちもさっちもいかなくなる、というプロセスも本来は「ワンストップ」しないといけない課題とおもう。

*1:遺骨から判明している「女性的な美形」は石田三成

*2:13歳の結婚、今の12歳の結婚は現代では男の子であっても性心理的に問題が大きいらしいが、結婚は形式で完成させたのは体が大人になってからとおもうので…。