エリザベス・キューブラー=ロス−死の受容のプロセス−

いろいろな方からいろいろな「いただきもの」をもらって、それを縁のあった紹介するためにこのカテゴリーがあるのだけど、なかなか活用できてなくて。


もういただいてから5、6年たっているよ。


「京都祇園暴走事件」の記を書いたので、これを期に今紹介してしまおうと思う。


「本人の気持ちはどこいった?」障害の受容−京都祇園暴走事件におもう− - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


死の受容のプロセスといっているが、不可逆な問題に直面した人すべてにあてはまると思う。もちろんエリザベス・キューブラー=ロスが指摘するように「すべての人がそのような経過をたどるわけではない」あるが、その差異はそれぞれの人生・哲学の差異にあるような気がする。


で、これも医療コーディネータの基礎的な知識としてもっていたほうがいいものである。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)


エリザベス・キューブラー=ロス - Wikipedia
<死の受容のプロセス>

■1.否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

■2.怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

■3.取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。

■4.抑うつ
なにもできなくなる段階である。

■5.受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。


「死」を「障害に」おきかえても同じことがいえる。


誰だって「あなたの命はここまでです」と宣言されて「はい、そうですか」とはいかない。特に生命エネルギーのあふれている若い人、現世でやることが多いと感じている人、自分をせいいっぱい生きていない人はそうである。


「京都祇園暴走事件」の加害者はこのプロセスの「2.怒り」にはまっていたと思うのだ。「なぜ自分だけがこんな目に」というやりきれない怒りである。ちょっと前までは「1.否認」もある。「てんかんの疑い」が疲労等による一時的な症状であるとおもいたい=現実否定のプロセスからいよいよ「現実的課題」としてつきつけられはじめた状態だった。そして「3.取引」を考え始めている段階だったと思われる。


だから「5.受容」の段階についていない、早すぎる、と指摘したわけである。