☥ 硝子の楽園 伊東聰 017
「で、決まって先生はこういうの。悪いことしていた『悪縁』の名残だってね。悪いやつではないよ。でもね、もうそんなん切ってもやっていけると思うの。だけど、先生はそうしないのよ。なんで?と聞いてもいつも笑顔ではぐらかすの」
「昭子さんは『ここ』にきて長いの?」「そうね、長いのかもしれないね。私もともと先生に『治療』してもらうために来たの。FFSっていうの、『顔の女性化手術』ってやつ。私のことわかっているよね?体は『女』になった、でも…」
「私の顔をみてわかるでしょう?どうみても『元男』だってばれてしまうの。それでどんな仕事をしても長続きしないの。もちろんいろいろな医者をさがした…。でも私の場合ものすごく難しいことがわかって。いい医者をさがせなかった。」
「難しい…」「ええ、一般的にFFSで手をいれるところは多いのは額とか眉骨や鼻が多いわ。ところが私の場合、見ての通り鼻のあたりの縦の幅が広すぎるのよ。目の下から、唇までの間隔。眉骨のでっぱりも大きいし。この長い顎」
「いろいろ調べててあごと眉骨はかなり大掛かりなオペになってもなんとかなるらしいとわかった。でもこの長い鼻だけはどうにもならない、どうしても縮めることができないと…。浦神先生のことはニューハーフの人脈で知ったの」
「で、わらにもすがる気持ちでここにきたの。もう本当に仕事もなくなって精神的にも追いつめられていたと思うわ」「先生はなんて?」「みてのとおりよ、結局ここでもダメだといわれた。まず顔を幅を縮めるオペというのは不可能だって」
「じゃあ額をけずって顎を削って鼻を小さくしたらうまくいくんじゃないかと思ったら、顔のバランスが悪くなるんだって。唯一考えられる方法は歯を矯正して歯並びをよくすることで口元の印象がかわるとはいわれたけど、納得できなくて…」
「でもそのときに本当に私本当にボロボロだったから、そのまま『入院生活』になってしまった。それからずっとここにいるの」「看護婦さんみたいなことしてるね」「ええ、昔看護師の仕事もしてたの。職場でいじめられてやめてしまった」
「それからニューハーフの世界に行ったり、ヘルスで体売ったりしてたけどやっぱり『この顔』が原因でうまくいかなくて。病院で精神科の薬もらって飲むようになってしまって。本当にあのときはぐちゃぐちゃだった」
「最初は廃人状態だった。でも、『顔』のことを気にしない時間が増えたせいかしらわからないけど、だんだん元気になってきたのね。で、みてたら先生助手もつけずに全部一人で切り盛りしているの。キャパオーバーでパニックになっているの」
「先生一人だったの?」「ええ、そうね、一人だけだった。太一はそのあと来たのよ。患者の一人としてね。彼の場合は全身の入れ墨をとってほしいって。かだぎの生活にもどれなくて困ったのだと思う。先生は無理だっていったの」
「無理だということもあるんだ」「ええ、そのあとに問題はおきそうなことには絶対に手をださない。患者の希望どおりになんとかしようとする医師も世の中にはいるけど、やっぱり患者は満足しないのよね。メスをいれてしまうと戻せないって」
「私もわかっているのよ。顔の真ん中の長さは手術では変えられない。乗り越えるには自分が強くなるしかない。でもこわいのよ。『外の世界が』」「『外の世界』が…」「ええ、どうしても人が私の顔をみて驚くのが耐えられないの」
「ニューハーフでもなんでもなく、普通の女性として静かに暮らしたい。でもいざ仕事さがそうとするといじめられた日々を思い出して。みんなの視線思い出して。だから普通の女性として暮らせる『顔』がほしいと。わかっていてそう思うの」
「ここではそんなことないのよ。私ニューハーフであったことを忘れて暮らせるの。生まれてはじめて『居場所を見つけた』と思った。だから私も協力してここを発展させたらいいかなと思った。でも先生はそれを許さないの。」
「許さない?ここを大きくすることを」「ええ、先生の考えはここは『仮の世界』でしかないんです。すべての人が『外の世界』で生活できること。ここを『居場所にすることはよくない』と。それが先生の考えなの」「ほう」
「私何度もいったの。太一のような『外の世界に居場所のない人もいるんだ』居場所がなくて社会にはじかれるように転落していく人を私はたくさんみてきたって。先生はそういう人たちをうけいれる力もある。でも先生は悲しそうな顔をする」
「方法はあると思うのよ。秦野のようなやつを巻き込まなくたっていくらでも先生を必要としてくれている人はいると思うの。でも先生はそう思っていないの。なぜかわからない。それが不思議。先生は『悪縁』だというけどわからない」
「病院の経営は誰がみているんだ?」「先生だけよ。少なくとも私たちにはかかわらせない。経理の人は東京の医院の分もふくめて『外』にもいるみたいだけど」「東京の『医院』のことは知っているの?」「知らない。扱いが別ね。東京は」
「そろそろ『仕事』にもどらなきゃ、テラスハウスのほうで今日は農園指導があるの。いってみてよ。わかるから」昭子は立ち上がる。ふり向きざまいう。「私はここが好きなの。ここが私の居場所と思っている。長く続いてほしいと思っている」