コミュニケーションバグ − GIDよりも難聴がカギだ!

2005年12月28日に聴覚障害者の女性がUFJ銀行を提訴するという事件が起きた。


障害者への理解がすすんだとはいえ、その実態はいわゆる「健常者」と対等というわけにはいかないのが現状である。現実は非情なほど厳しい。一定の企業であれば何割か障害者をやとわなければいけない、という法律があったとしても「コミュニケーションがとれない=仕事に支障をきたす」ということでわざわざ罰金をはらうことを選ぶ企業もあるといきく。私が「障害者」という言葉にこだわる理由のひとつはいまだにこのような事件が存在するからである。問題が解決しない限り、「障害=個性」というオブラートをかけて問題そのものを見えなくしてほしくないのである。


さて「障害を理解して『とも仕事をしていく』」ことが許されなかったUFJ銀行の当事者の悲しみに少し心をよせたとしても、当時の私本人のほうはそれどころではなく、「『組織』や『役割』のなかで健常者/障害者、男/女という壁をいかにして崩壊させていくか」というテーマを自分の心身で挑戦していた。


そのために私が導き出した「やらなければならない」課題は次のとおりであった。

・ストレスを素直にマネジメントできるようになる
・人との双方向の交流のために基礎体力をつける
・話を聴く持久力をあげる
・双方向の会話のコストを下げる
・自他の感情を「適切」に扱える
・自分のパフォーマンスを相対的に把握して表現できる
・情報を的確に正確にとらえる
・自分が考える時間を確保する
・「申し訳ない」と考えることをやめる
・数字や量など客観的根拠を示せるようになる
・心と体のエネルギーを回復する時間としくみをつくる
・自分の「やりたい」と「やらねば」を識別して計画する習慣をつける
・なくしてしまったタイムマネジメントの習慣を取り戻す
・「研究・調査は得意だが、勉強は苦手(上司談)」
その結果視野がせまいので、視野を広げる
・自分の素直な意思に反しての過剰適応・人の期待に答えるのをやめる

メンターの先生からTELがはいったのはそのときであった。
「伊東さん、伊東さんが心配されている障害は『解決が簡単』です。たとえ伊東さんがカムアウトしたとしてもどうすればいいか、誰にでもわかります。けれども伊東さんがみんなと解決しないといけない問題は『聴覚障害』のほうなんです。わかりますか?」

わからなかった。晴天に霹靂の話だった。「なぜ?」と思った。


「みなさん、『聴覚障害』である伊東さんに『どう接していいのか』わからないのですよ。そのためにみなさんがいろいろ推測して伊東さんに『接しないといけない』のです。伊東さんも『聴覚障害』に問題があることはわかっている。けれども『解決方法がわからない』。そうした場合伊東さんは『たった一人で抱え込んで解決しよう』とするのです。それがいけないことなのです。わかりますか?伊東さんには障害がある。けれどももしかしたら相手の人にコミュニケーションの障害があるかもしれないじゃないですか。見えていないだけで。伊東さんの障害と相手の障害、その結果コミュニケーションの障害が生じているのであれば『ともに話し合って解決方法を考えることが大切』なのです。いいですか?『障害』をもつのは伊東さんひとりではないのです。」


大きなショックだった。なぜなら「相手に『聴覚障害』者である私と話をするという負担可能なかぎりかけさせないように『聴覚障害』の問題は私が責任をもって解決して仕事や人間関係に『絶対にもちこまない』」という掟(コード)をもっていたからである。ところがそのコードゆえに逆に私とコミュニケーションがとれずに悩んだ人がいたのである。研修で一緒にやっている仲間もそうであり、また、現場をやめる一因となった上司Bさんもそうであった。


私は「上司Bさんとコミュニケーションがとれないこと」にひどく悩んだ。それは上司Bさんも同様で「伊東くんが僕の話を聴いてくれない」と上司Aさんに相談していた。上司Bさんは「伊東くんが0から一人で仕事のできる「自立した」人間に育ってほしい」と願っていた。そして私は「「自立した」人間に育つのが私の夢だから、上司Bさん、Aさんから多くのことを学ぼう」と考えていた。


しかし、私には上司Bさんが理想としている価値「何を伝えようとしているのか」がわからなかった。「わからないということにすら『気づけなかった』」。また上司Bさんが教えてくれる情報は「量がおおすぎてかつ内容が高度すぎて」私にはうけとれきれなかった。しかも「内容がうけとれず意味も理解できず心身ともにつらい」ことを私は上司Bさんに伝えていなかった。上司Bさんもまた私はどういう意味や価値をもってここまできたかを「推測」ではかるしかなかった。それは上司Bさんにとっても大きなストレスとなった。


そのためにお互いに「よかれ」と考えたことがすべて悪い結果につながり、人間関係にひびがはいった。その結果が仕事の成果の悪さにもつながった。


その一部始終を知っている上司Aさんの友人であるCさんが私に伝えてくれた言葉はこうである。


「伊東くん、自分が話が理解できる人とだけつきあってはだめだよ。世の中にはいろいろな人がいる。そのいろいろな人と伊東くんがコミュニケーションできるようにならなくてはいけない。でないと、これから年齢があがるとお客様と直接お話することも増えてくる。コミュニケーションがとれないから、とお客様を選ぶことはできないよね。」


「多種多様な人がハンディキャップを越えて人間とかかわる幸せを共有できる」社会をつくるのが夢である。それなのに意識していなかったとはいえ、結果的に「コミュニケーションがとれる/とれない」で人に対する態度がまったく違う自分がいたという大きな矛盾に気づかされ、考えさせられた一件であった。