「ありがとう」が足りなすぎる

作業内容の濃い週末だった。



今週は伯母とともに祖母の逝去により家賃の振込先変更を住民のみなにあいさつ。

そのあと食事して話をする。そのあとリーダー研修後の面接へ。

分科会へ参加して、帰りにはやめに夕食でタイ料理たべて、帰宅して歯医者へ。

久しぶりの歯医者で、つもる話をして、「今度海外ゴルフやりたいね」という話をして終わる。

その歯医者さんの父が町内の副会長で祖母の通夜に参列してくれたのでそのお礼を伝える。



そのあと弟の部屋の風呂掃除をして(借りているため)、買い物など雑用。

買い物帰りに歯医者さん父とであい、あらためてあいさつ。



風呂はゲルマニウム温浴

香浴をしようとしてエジプトの香油をセサミオイルで希釈して、体にすりこんで、瞑想。

自宅の風呂がこわれていなければ全身マッサージするのだけど。

こんど友人にオイルマッサージを依頼してみよう。



日曜あさ、手あれが完治していたのにはびっくりした。実はエジプト香油の効能を確認していないのだよなあ。



弟夫婦がさっそくM伯父を訪問しているときいてほっとしている。

ウィークデー用の一週間の弁当をつくる。メールの返信を書いたり。副業の調整をしたり。

自分のふりかえりをしたり。



1月8日の伯父への怒りは友人たちの尽力によりややおさまりモード。

起こった出来事が問題なのではなくて、おそらく伯父の健康状態がよくないことが根本にあるといわれて納得。

伯父は72歳になる。力や権力で自分がおもうようにわがままに生きてきた伯父にとって力をなくすことの精神的・肉体的にもダメージが大きい。なので若い人に力を誇示することでなんとか影響力をしめそうとおもうというか。



たしかに人間関係でもめて、交渉するとか相手をおもんばかるとかそういう経験を一切しないできたわけだからそうなるのもそうだと思うが。



父の件。この状況は「伊東家」だけの特殊な状況ではなくて、団塊の世代すべてにあてはまるそうだ。

父、今年還暦。母はその二つ下。



団塊の世代の人間は「自分の力で切り開いてきた」ことにプライドがあるから、人の世話になる、とか人にありがとうをいうことを決してやろうとは思わない。そうしないといけない状況をつくることが「悪」と思い、「恥」としてきている。



たしかに彼らの世代は一見「一人でやってくる」がうまくいっているようにみえる時代だった。



どんなにおちこぼれても「成功すること」ができた。



それ以外の世代は違う。人の世話になる/世話をするのスパイラルで生きている。そうしないと生きてこれない状況にある。

だけど、団塊の世代にはそれがわからないから、今の若い世代に「甘えだ、自分ひとりでやれ」という。

ぜったい「人に『ありがとう』をいう状況をつくるな、恥だ」といわれたらどうしようもない。

心も体もいっぱいいっぱいでMAX、不安で心をいっぱいにしながら「心を凍らせて」生きていくことになる。



一連のトラブル、結局「ありがとう」が足りないために人間関係までおかしくなるのだ。



「ありがとう」



僕も「ありがとう」をいえているだろうか。自分ひとりでおおきくなったような顔をしていないだろうか。

いや、ここまでやってきた自分に対してもありがとうをいえるのだろうか。