3月24日(第22回東京親子交流会)


ESTOのイベントの第22回東京親子交流会へ講師として参加。テーマがGID学会の報告会ということだったので。詳細はESTOの規定でプライバシーに関するためここでは報告できず。


高橋裕子先生と久しぶりにお会いする。なつかしい感じ。親子交流会も久しぶりだったのですごく緊張する。
なつかしい面々にもあう。


私とGIDの子供たちの関係は1997年の「ねこの手」というGIDの子供サポートのグループができたことからはじまる。それから2002年秋の某教研の保健の部門の養護の先生相手の講義以来だ。


性同一性障害者の中高生について
http://www.geocities.jp/stshi3edgid/gidchild.htm


このころは本当に子供たちまでゴルゴモードでバイオレンスな世界に生きていて「身体勝負」だった。今は「普通の子供になった!」という感じ。


ただ気になるのはあれだけ大勢の子ともたちのなかで子供たちのなかでGID医療を選択した子供を私は2人しかしらないということだ。1人はトランスジェンダーをめざしている。つまりトランスに該当する人は3名だけということだ。それは妙にGID学会の子供問題の発表と符合してくる。


韓国のGID特例法案では「未成年の性別変更」を保護者の同意のもとでできるようになっている。私もある意味で子供のうちにトランスできたら子供が心ゆがむことなくそだつということをまのあたりにしてきた。けれども「自分らしく生きて最後に身体にメスをいれること」を選ぶか、というとそうではないのだ。やはり「生きることができればGID医療などほどんと必要ない」ということではないか?


最後まで医療の手をかりて性別変更する子供はかなり少数派なのだ。


広い目でみるとGID然としてみえる子供のほとんどがGIDではなくて同性愛者としてアイデンティティを獲得するという現実をみてみると、本当に「慎重にみないと」という気持ちになる。


会のなかで伝えたこと。

聴く(input)ということ。話す(output)ということ。

自分を理解してもらうためには自分をださないといけない。では自分を向かうだすためには?
相手をしらないといけない。相手を知るために自分をだす。


つまり聴くと話すは相互作用なのだ。


それをやってほしくて他者紹介というシステムをいれたら混乱していた。


でも自分を知ること、相手を知ること。これはものすごく強い武器になる。