さとしの髪長姫伝説検証 その2〜宮子は「不比等の実子」か?



※甘樫丘(あまかしのおか)


■早鷹と渚の実子ではない?

さとしの髪長姫伝説検証 その1〜藤原宮子の「病」は何だった? - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090516


「藤原宮子は藤原不比等の実子(長女)であり、息子に会えないほど長年わずらっていた『病』とはアペロシア、先天性脱毛症である。うつ病は二次障害である。」


読者の方はもうひとつ「おや?」と思うだろう。
藤原不比等の実子か?という疑問はあるけど、髪長姫のほうが早鷹と渚の子でないという発想はどこから?」

■藤原宮子は一時期「養女」にだされた説

私は「藤原宮子は『ヒル』だった。」と考えている。

ヒルコ(蛭子神
ヒルコ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%B3

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子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマとともに、二神の子の数には入れないと記されている。

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つまり、先天的障害があったために一時「ヒルコ」として流された。
すなわち早鷹と渚の養女になった。
当初は藤原不比等の子の数にはいっていなかったのだ。


しかしわけがあって文武天皇の后とするために奈良に呼び戻し、長女としての立場を復活させた。
「わけ」については次回述べよう。


「歴史のなかの障害者」を学問として研究するのは非常に難しい。


なぜかというと一番つまずきやすいのは「健常者と違う別の世界のルールが適用されている」ということだ。もしも藤原宮子が「普通の女の子」だったら、養女に出すことは考えられないだろう。しかし健康上の問題はなさそうだが、あきらかに「異常な身体=髪がない」少女だった。


現代の「昔の障害者観」だと「昔は障害者がうまれると殺していた」という考え方を適用したがるだろう。
たしかにいろいろな民俗学的資料の中にはその事実を否定できない証拠がたくさんでてくる。


しかし仏教思想の藤原不比等そして神道系の母賀茂比売、三女の光明子の障害者に対する慈善活動と同じく先天的疾患をもつ基皇太子の待遇はその可能性を否定する。


もちろん「基皇太子」も「例外」なのだが…。

ちなみにこの母「賀茂比売」だが…

賀茂氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F

http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-1.html
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-1.html

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藤原鎌足の子不比等の妃となった賀茂比売も賀茂吉備麻呂の孫で、不比等との間に出来た宮子は文武天皇の妃となり、聖武天皇を産んで藤原氏全盛のきっかけを造っている。 また安倍晴明など陰陽道師を後年輩出するきっかけは、陰陽道賀茂氏が産まれその系図も残されている。

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少なくとも彼らは「障害をもつ子を隠しはすれど『殺す』」という発想はもっていなかった。もちろん神道は「穢れ」を嫌うので「穢れ」の原因となる「赤子殺し」はしなかった可能性は考えられるが。


「后になるなどの名門貴族の女性としての幸せは望めないが、せめて名門貴族出身の『人』としての幸せを」と宮中とは遠いが藤原不比等か母賀茂比売のいずれかにゆかりのあった?であろう九海士の豪族であった早鷹と渚の養女にだしたと考えるほうが自然ではないか?と思われる。


古代エジプトでも障害をもつラムセスネブウェベン王子が当時の王室のリゾートであったカイロ西部のファイユームのマイワ宮殿で一生を暮らした記録が残っている。

(P79より)

藤原宮子も当初はそのような形での暮らしを与えられたのだろう。


早鷹と渚の養女ではないか、と考える理由は彼らの年齢である。「40歳を超えての初産としての高齢出産」はこれも医学的には考えにくい。現代では40歳で初産はめずらしくないが、これは現代の医学技術の発達に依存している。40歳になるまで不妊で苦しんで、自然にさずかるというのはめずらしい。もっとも「桃太郎伝説」も桃太郎はおじいさんとおばあさんの実子(40歳)となっているので前例?がないわけではないが。


仮に奇跡が起きて40歳を超えての初産としての高齢出産で「ハンデ」はあるが子供をさずかったとする。


今度はふたつの問題が生じる。


ひとつは「藤原不比等か賀茂比売の人脈確保」と「宮中で藤原不比等の娘として対等に渡り合えるだけの基礎力を養うだけの教育資源」である。


今のように中央集権化した教育システムとマスメディアとインフラの発展がない飛鳥時代、宮中の名門貴族と九海士の豪族では「異文化コミュニケーション」の世界になる。


ましてやまったく文化が違うところから違うものを体得させようとしても基本的な所作ができていないと教育不能だ。学習能力があるとはいっても「里が知れる」という言葉に代表される「環境的な限度」というものが存在する。つまり「髪長姫」の物語が成立するためには宮子の抜け落ちた一本の髪が藤原不比等の手に渡る【前】に藤原不比等一族を構成する文化的価値観を宮子がなんらかの形で体得していないといけないのだ。


一本の髪というのは藤原不比等とのつながり=人脈の象徴かもしれない。


「教育資源」。参考になるのは以下の4つである。

1.天璋院篤姫
天璋院 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A4%E5%A7%AB

薩摩藩主島津家の一門・今和泉領主から江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所。

教育環境:今和泉→17歳で薩摩藩主・島津斉彬の養女→右大臣・近衛忠煕の養女→御台所
=>基礎は島津家流という共通となる文化ベースがある。

2.マリー・アントワネット
マリー・アントワネット - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

オーストリア皇女からフランス王妃

オーストリア(ドイツ文化圏)からフランス(フランス文化圏)と極端に離れているように思うが、幼少時から宮廷人としての教養は身につけている。
=>王室としては共通となる文化ベースはある。

3.於由利の方(徳川吉宗母)
徳川吉宗 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%90%89%E5%AE%97

和歌山城の大奥の湯殿番で徳川光貞の目に止まり、湯殿で手がついたという伝説がある。母の身分に問題があったため徳川吉宗は幼年は家老の元で育てられた。
=>要するに「教育できない」ということだ。

4.明石の御方(明石の上)
明石の御方 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%96%B9

光源氏の明石時代の愛人で源氏の一人娘(のちの明石の中宮)を産む。
父の明石入道は京の姫君に劣らないほどの教育をした。なぜそれができたかって、明石入道が桐壺更衣の従兄弟で三位中将だったから。それでも身分の低さを気にした。また娘は紫の上の養女になる。
=>要するに「教育できない」ということだ。

人間平等とはいってもですね…やはりものごとには「限度」ってもんがあるのです。
つまり「お里がしれる」ということ。


昔バブルのころに「玉の輿にのるために」と努力して「社長の息子」を恋人としてゲットしたが最後の「いざ結婚」で「社長の息子」の家族の反対でおじゃん…という悲劇が多発した。


その戦略を聞いてもたしかに「首をかしげる」ような思考や行動が行動が多かったのだけど、原因は「文化的相違」と考えれば納得がいく。つまり問題は「相手の文化を知らない=>文化を共通言語としてもっていなかった」ことにあったのだ。


それほどシビアな問題なのだ。


極端な話、インド等で問題になっている臓器移植ビジネスも「ドナーが貧しい人」という見方はある意味で間違いだ。と、いうのは「本当に貧しい人」だと臓器移植にたえられるだけの健康な臓器をもっていないという問題が生じるのだ。臓器移植のドナーになるのは「臓器の健康を保てる水準の生活レベルの人」ということになる。


ヒルコ」として流す先はどこでもいいわけではない。
流した先で悪用されたり、真実を知ったときに名乗り出て逆に「えらいこと」になる場合がある。
特に政治家はネガティブキャンペーンに利用されがちである。

たとえば…

天一
天一坊改行 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E5%9D%8A


天一坊事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E5%9D%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6


○カスパー・ハウザー
カスパー・ハウザー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B6%E3%83%BC


ということでまとめると、


藤原不比等の長女、藤原宮子は異形であったために養女にだされたが、宮中の文化にふれる機会があり、またそのような基礎的な教育はうけていた」と考えるのだ。


いくら「美しい」といっても本当に「どこの馬の骨かわからない」女性を宮中の最高権力者の家族として迎えるわけにはいかない。


ということは最低でも「藤原不比等の縁者」だろう、というわけだ。


逆に宮中の文化がベースにあったため、九海士の人たちと遊んでいても「違う何か」という「空気」をもっていたのかも知れない。それが九海士での「伝説」につながっているのかもしれない。


とにかくマイノリティとか障害者など「あってはならない」存在に対しての歴史というのは「意味」をひっくりかえして考えないといけない要素は往々にしてある。


隠す、というのはそういうことだ。


次がラストになります…。


(つづく)