☥ 硝子の楽園 伊東聰 002

瀬戸内の海は今日もおだやかであった。古来より風待ちの港として知られていたこの町から大小の島々へ向かうフェリーがある。メインの島へのフェリーもあるが、「俺」が向かったのは個人所有の小さな島であった。島の名は「首(こうべ)島」。

「俺」はその島の所有者であるという人ことを考えていた。その人物の名は「浦神 清志郎(うらかみ せいしろう)」。47歳。独身。医師。いわゆる「地元の名士」の血筋である。自分の所有である首島で療養型病床をもつ病院を経営している。

「島に?病院?船でいかないといけない島に?」東京の新宿某所の「自宅」で「俺」はおもわず言葉をもらした。「それが第一の問題さ」相棒シルヴァーはいう。「なんかよからぬ『実験施設』でもあるんじゃないか?という状況だろう?」

「実際ここの医師である浦神氏は外部の立ち入りをあまり好まない。地元では『変人』で通っている。彼の家は代々続く医者一族でね、彼の両親も医者だった。彼も医業をついだ。よくある話だ。しかし『ある事件』が彼の運命を変えた。」

海上タクシーは首島についた。「俺」はふっと首島の小高い丘を見つめた。小さい島であるが人が居住しているとわかる。一見何の変哲もない田舎の島だ。桟橋に「浦神診療所」という手作りの看板が見える。案内にしたがって「俺」は丘を目指した。

「俺」の表向きの役割は医療系ジャーナリストということになっている。もちろん「何も問題がなければ」「俺」はその責務を果たすだけだ。ジャーナリストとはかっこいいが、「俺」自身は「無名」である。「無名」であることが重要だった。

「無名」であってもどこかの組織に所属した「やとわれ」のジャーナリストでない限り医師のゴーストライターなどあやしい仕事ならいくらでもある。「俺」の任務にこの肩書きは都合がよかった。浦神氏の警戒心がとけたのも「無名」ゆえだった。

「俺」を受け入れる浦神氏にも事情があった。本当の正体が「真」の任務につながる状況であればそれは「詭弁」にすぎないが。浦神氏の医療の専門は「美容外科」「形成外科」もともと東京で「美容外科」のクリニックを開いていた。

事件以来、東京のクリニックは他の医師にまかせふるさとの島に帰った。それ以来浦神氏は世間の表舞台にでなくなった。美容整形のクリニックは所属する医師のキャラクターも広告塔になる。だが浦神氏はでることはなく、代わりの医師がでてくる。

「まあどちらかというと『過去の人』みたいな位置づけ。東京の「ウラカミ美容クリニック」もセレブの口コミとファッション雑誌の広告ベースでほかの美容外科のように派手なことはやっていないようだ。やはりメインは首島の診療所だろうな。」