「ラレとラダン 死を賭けた分離手術 」
「ラレとラダン 死を賭けた分離手術 」
ディスカバリーチャンネル番組より
http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=835551&eid2=000000
http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=835551&eid2=000000
◆ 参考になる書籍 ◆
「私たちの仲間―結合双生児と多様な身体の未来」
アリス・ドムラット・ドレガー
針間 克己 翻訳
- 作者: アリス・ドムラットドレガー,Alice Domurat Dreger,針間克己
- 出版社/メーカー: 緑風出版
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
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イランの結合双生児ラレとラダンのオペが悲しい結果に終わった事件は記憶に新しいだろう。 「自由になりたい」この言葉ほど双子の願いを象徴する言葉はない。彼女らのオペは「自己決定に基づく」成人の結合双生児分離手術では歴史上はじめてのオペであった。
◆あらすじ
1974年、ラレとラダンの双子の姉妹はシラーズ郊外の村に生まれた。二人がつながっているとしった父はそれでも誕生を祝福し、神に感謝したという。しかし、二人の運命は医療に翻弄される人生となった。
頭部の結合は2%の確立、医師達は二人を切り離す方法を求めてあらゆる検査を行った。1977年にシラーズの病院から父が知らない間に行方不明になってしまった、2人はシラーズから800キロ離れたテヘラン大学医学部付属病院へ移され、医師アレリア・サファイアンの養女となっていた。養父のもとで高等教育を受けた二人はテヘラン大学で法律学の学位を取得していた。
一見「普通の女の子」として楽しく自分の才能を発揮して生きているようにみえた二人。しかし、二人が成長するにつれて生活のQOLが著しく低下していった。「個々の人間として別々に生きて生きたい」という幼いときからの願いをかなえるべく、二人は「分離手術」をしてくれる医者を求めた。
1996年に1ヶ月かけてドイツで「手術の可能性」について検査したが、結果は「NO」だった。なぜなら、二人の脳は静脈を共有していて、その手術を安全に行える技術はなかったからだ。しかし、2001年、ネパールの結合双生児ギャンガとジャムナがシンガポールのラッフルズ病院のケイス・ゴウ医師によって分離されたというニュースを聞いた二人はケイス・ゴウ医師にオペの依頼をした。
最初はケイス・ゴウ医師ら医師達はオペに反対した。成人の脳は乳幼児と違って「脳の可塑性」による回復力を望むことができないからである。しかし、検査の結果、オペをしなかったとしても「30年のながきにわたる結合生活」のなかで二人の脳は「融合しかけていた」。そのための脳圧の高さによる頭痛による生活のQOLの低下、それによる脳卒中、失明のリスクもあった。医師達はオペを倫理委員会にかけた。また、全力を尽くしてオペのリスク等のインフォームドコンセントを行った。そして、二人はオペに望んだ。危惧されていた静脈のバイバス手術、という一番の山は越えて、このままオペは成功すると考えられた。
しかし、オペとは関係のないほかの脳の血管からなぞの大出血がおきた。オペ終了後二人の友人が病室にはいってみたものはオペを終えてベッドに横たわるラレとラダンの死を意味する一本の花だった。そしてその一時間半後ラレもラダンのあとを追った。二人の「別々の体になりたい」願いを達成することはできた。しかし、その向こうにあるはずの自由と可能性を手にすることはできなかった。
◆ さとしはこの番組をどう見たか
このような話になると「メスをいれるべきだったのか/否か」という議論につながる。これほど当事者にとってある意味「はた迷惑」な議論はない。さとしはこのような議論は不毛であると考えるし、不快感を感じる。またそれにかわる意見ももっていない。なぜなら、ラレとラダンが「死のリスクを超えても向こうにある自由がほしかった。その可能性があるなら最大限の努力を尽くす」という気持ちはさとしにはあまりに痛すぎるほどわかるからである。病と身体障害の苦しみは当事者でない人が本当に理解することはできない。「オペをするのは倫理的に問題/問題でない」という議論ほど当事者を痛めつけ苦しめるものはない。「俺にかまうな。ほっといてくれ。てめぇらに何がわかる。」と叫びたくもなる。
ただ、この件に関するさとしの懸案はひとつ、「彼女たちはオペのリスクを本当に理解していたのか?」ということだった。「オペの技術に夢物語を見ていたことはないか?リアルにオペの技術を理解していたのか?」という点であった。その点に関してはクリアされていたようだ。ただ、惜しむらくはラレとラダンのオペまでのプロセスを見ると彼女たちは「死へ向かっているように」感じられたことだ。たしかにオペが決まってうれしい⇒でもオペのリスクは高い⇒不安が強くなる⇒それでもやりたかったことだから強行突破 というプロセスはよく知られた心理状態である。多くは杞憂に終わる。しかし不安や危機感を抱いたままでオペをした場合、やはりというほど最悪の結果を招くことがさとしの経験上では多い。
「夢物語的な希望を抱き過ぎている場合」「死ぬのでは?障害が残るのでは?」という心理状態があるときは悲劇への一直線であると経験上さとしは理解している。だから本当はオペに向かっての不安を和らげるセラピーも必要だったのではないかと感じる。場合によっては「延期する勇気」も必要だろう。
しかし一方でそれは不可能であったことは理解している。彼女達は何よりも恐れていたのは「倫理委員会」の決定であった。「なぜ倫理委員会が必要なの?」「倫理委員会に否定されてオペができなくなるのでは?」という恐怖を常にいだいていたのだ。彼女達が怖かったのは、「分離して自由になれる可能性を失うこと」であった。次に「分離しても得られるはずの自由を失うこと」であった。そして「最後に自分達の生命そのものを失うこと」であった。しかしこれらの恐怖の向こうに存在する「自由になれる可能性にかける」、「分離しないと自分達の人生は始まらない」という気持ちのほうが勝ったのだ。倫理委員会に対する恐れ、不信感、そして「オペが終わらないと始まらない人生」。それは身体障害ゆえにあらゆる身体改造をのぞむ人々のそれにあまりに酷似している。
オペの失敗原因はわからないという。さとしの素人なみの私見であるが、おそらく「脳が融合しかけていた」ということだから、30年の人生のうちに脳内に二人をつなぐ新しい血管ができてのだろう。それにくわえて分離した際に脳内の血管の圧力が変わって、微妙に傷ついていたところがやぶれたのだろう。なかった場所に新しい血管が作成されるという現象はたしかにあってさとしの知人が数十年間それに苦しめられているが、そのことがわかっている医師も少ないしわかったうえで解決できる医師は存在しないという。まさに人間の予測をこえた人体の神秘というべきことであるが、それゆえにこのオペの失敗も「不可抗力」といわざるをえない。
養父は「二人はオペをするべきでなかった。」と医師達を強く非難した。世界中の人が二人の死を悲しんだに違いない。二人は別々の体で故郷に戻り、多くの知人達によって並べて埋葬された。この問題に対してさとしが「一番正しい考え方をした」と感じたのは二人の実の父だった。甥から二人の死を知らされた父はこういったという。「神の思し召しだ」、と。
最後にさとしのもうひとつの解決しがたい懸案がある。二人の生い立ちをみているとものごころついたときから、「分離しないと不幸である」と考える医師達の目線にさらされ続けている。「私たちの仲間―結合双生児と多様な身体の未来」によると結合双生児のほとんどは分離をのぞまない。一方が死にかけているときですら、一緒に死ぬことを願うという。二人は結合双生児のなかでかなり例外的なほうである。それは彼女らがあまりに才能がありすぎたせいだろうかとも考えたが、おそらくそうではない。もしも彼女らが医学と程遠い世界で育っていたら、二人の誕生を祝福した実の両親のもとで育っていたら、彼女らはリスクの高い分離手術を本当に望んだであろうか。
番組のしめは二人のかけあいで終わる。
…別々の体になっても一緒にいてくれる? ごめんだわ。ばいばい。…うそよ。ずっと一緒にいるわ。
<完>