人工内耳 −幼いサイボーグの自己決定−3

昨年12月につづきふたたびパラダイムシフトがおきてつらい、だるいの休職第三週目です。復職のために朝7時起床は死守してでかけられるときはでかけて状態が悪くならないように気をつけているが、いまだ昼に睡眠を確保しないと難しい状況である。そして今朝は胃痛で目が覚めて・・・。医者へいったところ、「十二指腸潰瘍のうたがい」が!うっげっ!まさか!ということで内視鏡の予約をして今日は病院めぐり。相当なストレスかかえていたのだなあ・・・。



近況はここまでにして、人工内耳である。リーダーシップ研修をうけていておもうことが多くある。


「なぜ一人で孤独に生きようとしたのだろうか」「なぜ人を信じないという生き方を選んだのだろうか」
言語化できないもやもやに少し向き合おうとした。


二つのエピソードがある。


ひとつは私が小学生低学年のときである。私は祖父母に非常に「愛された」孫だったと思う。祖父母は私が耳の障害をもっていることを不憫に感じていた。祖父が言った。「さとちゃんの耳を直せる技術をもった医者がいたらいくらかかってもいいからさとちゃんの耳を直すからね。」


その言葉をうけとった私はどう感じたか。祖父母の愛情はありがたかった。しかし、本能的に感じたのは「警戒心」であった。その意味を理解できないもやもやを感じたまま、月日が過ぎていった。


二つ目のエピソードがある。これは昨年岡山へ帰ったときである。たまたま開かれていた研究会で幼稚園のときにお世話になった恩師である言語聴覚士の先生にお会いした。25年以上だっても変わらない若々しい先生であのときと変わらない姿で難聴児の教育に熱心にあたっておられた。


今のテーマは新生児聴覚スクリーニングと人工内耳を装着した幼児の教育だということだ。「新生児聴覚スクリーニング」については次の項にゆずろう。問題は「幼児の人工内耳」の問題である。恩師の先生には申し訳ないことであったが、研究発表を聞いてまた祖父母に感じた警戒心を感じたのだ。またもやその意味を理解できないもやもやを感じたまま、月日が過ぎていった。


そして先日友人とサイボーグ009の話をしていてそのもやもやの正体があきらかになった。


「009だけ、インフォームドコンセントなしでサイボーグにされたんだよ。」


ああ!これだ!こういうことか!。
「『人の心を持ちながらヒトでも機械でもない存在となった悲しみを胸に』ってそういう意味だったのね!」


上記出典:
サイボーグ009 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0009

「俺の人生と身体のことが俺自身で決めさせてくれ!」


もやもやの正体はよかれと思った大人たちの関与に対する強い警戒心と怒りの感情であった。


自分の人生は自分できめる。これは「自己決定の問題」であった。


私は「自分らしく生きるために、自らの自己決定権をまもるために『大人たちの関与』を拒否して孤独に生きる道を選択した」のだ。30年近くの歳月にわたって。厳しい戦いだった。このような思いを若い子達にしてほしくない。


しかしその次の瞬間私は思った。「この問題は今まで私が抱えた問題の中で最大のな・ん・も・んかも!」

「ごめんなさい。わかりません。答えだせません。私は『責任』もてません。」


どういうことか、というとこういうことなのだ。


まず、性同一性障害。そして半陰陽。そしてイランのラレとラダンに代表される結合双生児の問題。そして聴覚障害者。



※イランのラレとラダンの勇気と決断、悲劇については私の本ホームページの「私の書評/番組評」

ラレとラダン 死を賭けた分離手術 」
[世間の「動き」に思う]「ラレとラダン 死を賭けた分離手術 」 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20050327


共通項がある。五体満足の普通の人たちによる「大きなお世話」の被害者になりやすいということである。しかも本来であれば信頼の基盤となる両親でさえ「加害者」になりやすい。その結果心身ともにずだずだになった彼らが「真実」を求めようとする過程で両親たちでさえ苦痛のあまり「わが子」を受け入れることができずに親子関係そのものもずだずだになってしまう。その結果当事者たちの人間関係の作り方さえ希薄な関係になってしまうのだ。


この被害を最小限に抑える方法はひとつしかない。本人たちが「自分で選択できる」年齢を待つことである。昔は「医療技術は万能である」という神話に基づいて、自己決定のない年齢で「本人たちがおかしい」と感じないうちに「普通に直す」ことがルールであった。しかし、成長するにつれて実際に当事者たちの違和感の声があがるようになり、じょじょに当事者たちの経験にもとづいたルールづくりや啓蒙活動が行われている。


ところが、聴覚障害に関しては年齢を待つの「例外」なのである。重大な問題は「言葉の臨界期」である。自己決定できる年齢になる前に臨界期がきてしまうのだ。臨界期までに聴覚による脳の刺激をうけないと脳の仕様は「聴覚」用ではなくなるのである。特に重大な問題は「母国語」の習得ができなくなってしまうことである。つまり「日本語」が理解できなくなってしまうのである。また脳の可塑性と言う観点からも子供のほうが人工内耳に容易に適応できる。そのため、新生児聴覚スクリーニングと人工内耳を装着した幼児の教育は聴覚障害という障害をクリアするために必須の双璧なのだ。つまり聴覚障害の場合、「よい結果をだすためには「自己決定」よりも「言葉の臨界期」最優先になってしまうのだ。自己決定できる年齢までまってしまうと脳のしくみ上本当に「取り返しのつかない」ことになってしまうからだ。


一方で、本当に「取り返しのつかない」結果を生むのか?という疑問も生まれる。聴覚障害、とくにろう者を「障害」ととらえるからいけないのだ。「障害」でなく「別の価値観・言語体系をもつ少数民族」と理解したらどうだろう。


インドで「ヒジュラ」というカーストがある。いわゆるトランスジェンダーカーストだ。ヒジュラの人間が突然変異的に別のカーストの家庭に生まれて、その子をヒジュラが自分の身内としてひきとっていく。同じように突然変異的に健聴者の家庭に生まれたろう者をろう者が同じ文化を生きるものとして育てたらいけないのだろうか。



そういう意味で人工内耳を「ろう者」という少数民族の文化・同朋を抹殺していく健聴者側の論理による文化侵略ととらえるろう者も多く、特に「権利の社会」であり、かつ人間をカテゴリで識別していく習慣のある欧米社会においては人工内耳という技術は「ろう文化」を生きるマイノリティの絶対数をへらし、文化を破壊するとまで思われているふしがある。その裏の心理はマイノリティがさらにマイノリティになることで多数決で決定されることが多い社会では不利になるという思いだろう。


私が感じた「危惧」はたぶん恩師の先生のみならず一部の当事者、関係者にお見通しのようで、たとえば長瀬修氏は「ろう児の人工内耳手術の問題点」(『生命倫理』8 1997)でハーラン・レイン氏の「聴能主義(audism)」の概念を紹介し、ろう者・聴覚障害者に関係する専門職者もこの聴能主義体制の一部であるという批判を紹介している。



長瀬修氏 「ろう児の人工内耳手術の問題点」
http://www.arsvi.com/0w/no01/1997c.htm


※聴能主義=聴者によるろう者社会の支配、再構成、ろう者社会への権威の行使
Lane, H. (1992) The Mask of Benevolence, New York: Knopf



私はそれについてどう思うか?「一人のNGをみんなで解決でき、一人の価値をほかの人に還元・循環させることのできる社会」であればマイノリティであることは「おそれることではない」と思っている。マイノリティの社会に閉じ込めるのもマイノリティとして生きるのも意味がないと思っている。なぜなら「自分が自分である」ということが「最小のマイノリティ」単位だと思っているからだ。だから、「マイノリティ」にこだわる意味がないのだ。



次は「ガイドライン」という観点でもう少し人工内耳の話をすすめたい。