レベル9のスキル段階 その2


「コミュニケーション能力の到達レベルがあるとしたらどうなっているのだろう」と考えたことはありますか?

これを伊東聰流に整理してみたのがこちら。



■方向
コミュニケーションのキャッチボールができるか。

・双方向
お互いの意思疎通が容易にできる


・一方向
お互いの意思疎通ができない、難しい

■力関係
意思疎通に強者/弱者の関係が生じないか。

・対等
お互いが相手に気を使うことも少なく意思疎通ができること


・主従
コミュニケーションスキルの高いほうが低いほうへ配慮しないと意思疎通ができない

■言葉力
その言葉が母国語かどうか

・native-native
母国語同士の会話
たとえば日本人同士の日本語会話


・非native-非native
第二外国語同士の会話
たとえばエジプト人の英語と日本人の英語


・非native-native
たとえばイギリス人の母国語英語と日本人の第二外国語英語


・音声言語不可
手話やその他の非言語ツールによる依存が高い

■レベル0〜9
コミュニケーションスキルのレベル。
通常ビジネスでいうコミュニケーションスキルはレベル5を出発点とする。
学校教育で教えるいわれたとおりの「答え」を答えるレベルはレベル5。
レベル4以下は「まともにコミュニケーションが成立しない」と判断されてしまうレベル。
私の私見ではレベル6以上はないと
「人間関係がうまくいかず職を転々とし・・・」が非常に発生しやすい。
それはなぜかは後日解説します…。
だが、現実にはレベル6以上はその人の自発的な啓蒙訓練に依存している。

レベル0の遷延性意識障害とはいわゆる「植物状態」のことです。
当然、話をすることも喜怒哀楽の感情の交流をすることもできないレベルです。
なぜこのレベルを設定したかの解説は明日。


「コミュニケーションがとれている」と感じる理想の条件は以下のとおりです。

1.コミュニケーションの参加者が無意識の状態を保持できること
2.コミュニケーションの参加者全員が満足すること
3.なにかを「配慮した」時点でこの関係性はくずれる

コミュニケーションの究極のゴールはレベル9の「win-win」の関係です。
全員が満足して合意形成できることです。
通常「健常者」が当たり前としてしまうレベルです。


レベル8の「やくざ式」というのは「目的のために手段を選ばない」コミュニケーションです。
win-win」との共通点は「人間心理」をしっかりおさえて行われることです。
当然、言葉のやりとりには裏に隠されたふくみや真意が隠されております。
「文字通り解釈してはいけない」コミュニケーションです。
win-win」との相違は「力関係、勝ち負け」があるかどうか、です。
目的を果たすことはできますが、相手の感情にしこりが残ることもあります。


上記2つのコミュニケーションが存在することが理解できないと、「甘い」「世間知らず」という評価をうけます。


レベル7の質問力、これはあいまいな概念を共有できる形にするのに必要なスキルです。
また相手のコミュニケーションを制御することもできます。
最低でもこれを知らないと「ずるい人」につけこまれて搾取されることになります。


レベル6は「いわゆる話の聞き方」です。
これができないと「話にならない」ということになります。


レベル5はいわゆる学校教育で鍛えられる能力です。
ここまでは学校で鍛えられます。
私は普通学級でも特別支援学級でもコミュニケーションがひとつのカリキュラムとして教えられないことに強い憤りを感じております。


確かに通常はレベル6〜は生活、人生の中で鍛えられていくのかもしれません。


しかし「コミュニケーション能力に障害をもつ」人たちが理解できるのはレベル5であればこの世、この社会は理不尽の塊に満ちております。大学までは優秀だったのに社会人になってオチこぼれます。「なぜ『仕事ができない』のか」理解できないまま、人生をスポイルしていくのです。


やがてその負のエネルギーは社会全体に向かっていきます。


せめて知識の上だけでも「やくざ式」「win-win」のコミュニケーションレベルがあることを知ることができれば、「世の中にはそういうことがあるんだ」と世の中との向き合い方が楽になったかもしれない。


「だまされたり」「裏切られたり」「搾取されたり」「利用されたり」する原因が推測できるだけでもかなりのことが変わります。原因がわかれば対策をうてます。


「自分をディスカウントする必要もなくなる」。
人間を信じる力を保持することもできます。


私にはそう思えてならないのです。

<つづく>